■「墓」に「鏡」…邪馬台国は福岡に?
訪れたのは福岡・香春町の歴史資料館。香春町を含む田川市郡8市町村の田川エリアに邪馬台国があったのではないかというのだ。
「香春町では、内行花文鏡(ないこうかもんきょう)が発見されています。弥生時代後期だろうと言われている鏡になります。弥生時代後期というと、まさに卑弥呼が住んでいたと言われる時代の鏡ということになります」(田川広域観光協会・永原譲太郎さん)
「内行花文鏡」とは、邪馬台国の女王卑弥呼が生きていたとされる弥生時代後期の銅鏡だ。
「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)には、卑弥呼に100枚の鏡を送ったという話が出てきます。これは後漢式境ですから、まさに卑弥呼がもらったうちの1枚かもしれない」(田川広域観光協会・永原譲太郎さん)
中国使節団の邪馬台国への行程などが記された中国の歴史書「魏志倭人伝」には、「銅鏡百枚」が邪馬台国の女王卑弥呼に送られたことが書かれている。そして100枚のうちの4枚が香春町で発見されているという。
「私たちはこの田川エリアに邪馬台国があったと考えています」(田川広域観光協会・永原譲太郎さん)
なんと邪馬台国が田川エリアに!? さらに…。
「もうひとつ見てほしいものがあります。「箱式石棺墓」です。これは吉野ヶ里もふたに赤い朱が塗られていたという話があったけど、まさにこの墓も内部が赤く塗られていました」(田川広域観光協会・永原譲太郎さん)
今回、佐賀・吉野ヶ里遺跡の発掘調査でも石棺墓が見つかっている。その墓の中から赤い顔料などが見つかり、佐賀県は「邪馬台国時代の有力者の墓であることが裏付けられた」としているが、実は、この香春町の石棺墓の内部からも発見当時、赤い顔料が見つかっていたのだ。
ーーこの「石棺墓」と「銅鏡」と、いろいろそろってワクワクしますが、ほかに何か卑弥呼につながるものは?
「実はですね、隣の赤村に卑弥呼が眠っているのではないかと言われている場所があります」(田川広域観光協会・永原譲太郎さん)
ーーえっ! 卑弥呼が眠っている? それが赤村にある?
邪馬台国の女王、卑弥呼の墓が赤村に!? 取材班は、香春町に隣接する田川郡赤村へ向かった。卑弥呼が眠るその場所とは?
■“前方後円墳”も存在? 自宅庭からは“弥生土器”の破片も…
「卑弥呼が眠る墓」の場所を横から見ると、何も変哲もない丘が広がっていた。
「これが卑弥呼が眠るかもしれない場所。これは地元では前方後円墳と言われてますけど」(田川広域観光協会・永原譲太郎さん)
しかしドローンの映像に現れたのは、前方後円墳型らしき丘だった。この丘は、いまだ正式な調査がされておらず、古墳と認められていないが、前方後円墳の特徴である鍵穴の型をしていて、全長は約450メートルある。
大阪・堺市にある日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵」の全長486メートルに次ぐ大きさになるという。
「仁徳天皇陵に次ぐ大きさとなりますので、日本で第2位ということになります。(その意味?)それは、邪馬台国がこの地域にあったということになると思います」(田川広域観光協会・永原譲太郎さん)
さらに、卑弥呼の墓ではないかと自信を持つ理由があるという。
「この後円部の円形部分ですね、直径約150メートルです。卑弥呼の墓も、約150メートルだと言われています。この後円部がその大きさにあたります。それで卑弥呼の墓ではないかということです」(田川広域観光協会・永原譲太郎さん)
中国の歴史書「魏志倭人伝」には、卑弥呼の墓の直径は「径百余歩」と記されている。つまり150メートル前後の長さ。赤村の丘の後円部は、直径約150メートルとみられることから、書物の内容とほぼ一致する。
そして、取材を進めると驚くべき事実が…。
卑弥呼の墓とされる土地の一部を所有する広瀬喜一さんは、自宅の裏にある卑弥呼の墓とされる場所である物を発見した。
「タケノコ掘り、長いので掘るんですよね。深い所を掘ると先に当たったらしくて、カチッと土器が出てきた」(卑弥呼の墓とされる土地の一部を所有する広瀬喜一さん)
なんと、弥生土器の破片などが地中深くから出土したというのだ。
「地中から出てきた土器です。(専門家の方から)卑弥呼がおったときの土器だと聞いています。信用しています」(卑弥呼の墓とされる土地の一部を所有する広瀬喜一さん)
自分の土地に卑弥呼が眠っている。これが本当であれば世紀の大発見だ。(以下ソース)
6/22(木) 17:17配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d421ce4f205317280288e8f7ff19fafd81258982
引用元: ・【福岡】えっ!卑弥呼が眠っている?あの“邪馬台国”が赤村に!? 「邪馬台国が田川エリアにあったということになる」 [樽悶★]
東京を見習えよ