アイドルグループ「V6」のメンバー入りを打診されながら、ジャニー氏からの性行為を拒否した後、デビューのメンバーから外されたという。
「当時は『性行為を受け入れられなかったからデビューできなかった。自分の責任』と自分を責め続けた」と打ち明けた。(望月衣塑子)
ジャニー氏の自宅マンションは広いリビング、大きなキッチン、室内に階段があり、衣装部屋もあった。ジャニー氏に「(少年隊の)東山紀之と話をするから部屋で待ってて」と言われた。部屋でくつろいでいると、ジャニー氏が入ってきた。ジャニー氏の膝の上に座って頭をなでられながら、このマンションの何階に大使館員が住んでいる、何階に国会議員が住んでいるなどと話してきた。「デビューしたら、このマンションに住めるから」と言われた。
その日は風呂に入り、寝た。何もされなかった。翌日、疲れからか発熱した。
ジャニー氏はかいがいしく世話をしてくれた。米国の劇場街ブロードウェーの話などをしながら、体温を唇で測るようなしぐさをしておでこにキスをしてきた。
汗もかいたし、お風呂に入ってきな」と促され、風呂に入ると、ジャニー氏に執拗に体を洗われた。
その翌日、熱が下がった。芸能雑誌「Myojo 明星」の撮影に行くと言われ、撮影に向かった。夜、寝ていると下半身がぬれている感触があった。恐る恐る掛け布団をめくると、ジャニー氏と目が合った。性加害を受けていた。
怖くなり布団をかけ「これを断ったら住む場所や学校、デビューの話も全部なくなる」と思い、痛かったがとにかく耐えた。
翌朝、ジャニー氏から2万円を手渡され、「昼ご飯を食べていきなよ」と言われたが、ショックで「学校の出席日数が足りないから大阪に帰る」と伝えた。
しかし、ジャニー氏はあきらめず、しきりと都内にある多くの芸能人が通う高校への編入を薦めてきた。
95年2月になり、再びジャニー氏に連絡。東京に行くと、車の中で肩を抱き寄せて手をつないできた。テレビ局やNHKホールなどに行ったが、歌や踊りの訓練を受けておらず、番組で「SMAP」の後ろで踊るという話も出たが踊れず、外で見ていた。
3日間泊まったが、どんな被害に遭ったかをよく思い出せない。ただ枕元に2万円が置いてあったのを覚えているという。
3月になると高校卒業間近だが授業も行けなくなった。ジャニー氏は「大丈夫、大丈夫」と言い「バレーボールはできる?」と聞いてきた。学校の授業程度だがやったことはあるので「はい」と答えると、「秋からワールドカップバレーボールが始まる。それに合わせてグループを作る」と記者会見の日付まで告げてきた。そのグループこそ、95年9月にデビュー会見をした「V6」だった。
「ソロではないのか」と思ったが、目立つのが好きな方でもなく、グループの方が逆に安心と思った。しかし、その日の夜に再びジャニー氏が襲ってきた。
痛みでベッドから転げ落ち、その後の記憶がはっきりしない。翌朝、ジャニー氏は5万円を手渡してきた。
再び「大阪に帰ります」と言った。ジャニー氏は何度も引き留めたが、すぐにでも離れたく「帰る、帰る」と大阪に戻った。電話にも出なかった。その後また東京に出てくると、デビュー話はなくなっていた。学費も出ず、住む場所もなく、再び新聞配達を始め、稼がなければならなかった。
他の事務所に移ったが、ドラマなどのオーディションで良い役をつかんでもクランクイン直前で取りやめになることが何度か続き、21歳で芸能界を引退した。
「他のジュニアメンバーに『自分だけメンバーの中できちんとジャニー氏に扱われないのは、性加害を一回受けた後は拒んでいるからか。どうすれば』と相談された時、『自分のようになったらあかんから今は我慢だぞ』と、性加害の共犯のようなことを言ってしまった。後悔している」と木村さんは苦しむ。
「性加害に耐えなければデビューできない、スターになれないということが、事務所の中で公然の事実のようになっていたが、その仕組み自体がめちゃくちゃだということが、英BBC放送の報道や被害者たちの告発で明らかになった。
テレビではいまだに事務所タレントを起用するなど、事務所もテレビも番組を支えるスポンサーも加害責任に向き合っていない」
引用元: ・【元Jr.木村伸一】性行為を拒否した後、デビューのメンバーから外された 「性加害に耐えなければデビューできない、スターになれない」
個人と会社は一体型で犯行を行っていた
なんでジャニーがどこに住んでるか知ってたのかね