週刊女性PRIME
冒険家・三浦雄⼀郎さん(91)
「やった!」
その瞬間、青空に歓声が響いた。2023年8月31日午前7時20分、冒険家の三浦雄一郎さんが富士山の頂に到達したのだ。その隣には、日に焼けた次男の三浦豪太さん(54)をはじめ友人や教え子など、「雄一郎さんの挑戦を支えたい」との思いを胸にした40人近い人々がいた。
【写真】80歳にして3度目のエベレスト登頂に成功したときの三浦雄⼀郎さん
冒険家・三浦雄一郎が患っていた難病
今回の挑戦に多くの人が関わったのには訳がある。実は雄一郎さん、2020年に100万人に1人といわれる難病を患っていたのだ。
この年の6月3日、苦しさで目覚めた雄一郎さんは、首から下が動かせなくなっていることに愕然とした。今までさまざまな病気を経験し、7度の心臓手術を受けてきたが、今回のような症状は初めて。この日は前年に患った脳梗塞の検診に付き添うため、関東住まいの豪太さんが北海道・札幌の自宅まで泊まりに来ていた。しかし、助けを呼ぼうにも思うように声が出ない。
「何とか気づいてもらおうと、テレビのリモコンのボリュームを上げました」
大音量のテレビとは別に、「おーい、おーい」と自分を呼ぶ声に気づいた豪太さんがすぐに救急車を呼び、雄一郎さんは病院に搬送された。精密検査の結果は「頸髄硬膜外血腫」。首にある頸髄の膜が破れ、流れ出た血が血栓となって神経を圧迫し、首から下の神経が遮断されている状態だ。
血腫を取り除く緊急手術を受けて一命を取り留めたものの、そのまま入院になった。折しも新型コロナウイルスが猛威を振るい、世間もどこか重たいムードが蔓延していたころだ。
「手術後、妻に激励されましたが、身体が思うように動かないことで、『頑張りようがないんだ』と返事したのを覚えています」
豪太さんも、いつも前向きな父のネガティブな発言を聞くのは、初めてのことだったという。
「少し時間がたって、最悪の状態を脱したように感じました。もうこれ以上悪くなりようがないんだったら、このままよくなるしかありません。小さな兆しですが、『ここからまた前進したい』という思いがゆっくり大きくなっていきました」
どんな痛みが襲っても、少しでもよくなるならリハビリに励むと決めた。しかし、87歳の雄一郎さんを襲った頸髄硬膜外血腫は甘い相手ではなかった。
次ページは:起き上がれない状態から聖火ランナーに
https://news.yahoo.co.jp/articles/b8903f5f47e737750d65d7ec1c84bb0ff37a7e4a
引用元: ・【冒険家】三浦雄一郎さん、要介護4の認定を受けても富士山の頂上へ「誰でも何歳でも再出発はできる!」 [フォーエバー★]
昔の三浦さんは凄かったのがわかる動画
https://www.youtube.com/watch?v=piNRRg7WuG8
Skiing down Mount Everest
これは、スキーヤーの三浦雄一郎が標高 6600 フィートを 2 分 40 秒で滑り降りる、
アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー「エベレストをスキーで降りた男」からのクリップです。