ヘヴィメタル・バンド、メガデスの元ギタリストとして日本でもお馴染みのマーティ・フリードマンに、英紙「ガーディアン」がインタビュー。その唯一無二のキャリアと、いまだに魅了され続けているという日本への想いを語った。
メガデスのギタリストが、なぜ日本の昼間のテレビ番組で化粧品の品評をするに至ったのか、というのは、ヘヴィメタル史上、最も困った問いと言っていいだろう。
「チャレンジするのに夢中になったんですよ。本当にこれが自分にできるんだろうか、ということに」とマーティ・フリードマンは笑う。
「その最難関が、ある番組の審査員でした。女の子たちが登場して、念入りにメイクをする番組なんです。この世のなかに、自分にとってこれほどどうでもいいことはないのに。『ほう、このファンデーションにこのチーク、あの子によく似合うじゃない!』なんてね」
フリードマンがメガデスに参加したのは1990年のことだ。彼はこのヘヴィメタル・バンドが、ミリオンセラーを達成して90年代のメインストリームに躍り出て、メタリカ、スレイヤー、アンスラックスと並ぶこのジャンルの「四天王」になるのに一役買った。しかし2000年に脱退し、その3年後には米国を去って、日本での新生活を開始した。
彼は日本で、ソロアーティストとして楽曲制作を続けながら、この国のポップカルチャーにおいて唯一無二の、存在感のある地位を確立してもいる。
メイクについてのご意見番として招かれるだけでなく、外国人初の日本遺産大使にも任命され、国の行事で流す日本遺産のテーマソングの作曲を政府から委託されもした。数々の広告やテレビ番組にも出演している。なかでも「ヘビメタさん」は有名で、映画『ウェインズ・ワールド』的な風刺でお茶の間の人気をさらった番組だった。
「一時期は文無しのホームレスだったこともありましたが、どこにいても安全だとわかりました」。メガデスを飛び出して、このなじみのない世界に来たときのことを彼はこう語る。
「度胸があったから、とは言いたくない。バカな奴だと思った人もいたでしょう。音楽業界で食べていけるというのは、宝くじに当たったようなものだから。でも、偉大なメタルバンドのリード・ギタリストでいるよりも、音楽で僕ができることはもっとずっとたくさんあると思っていたんです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/71dd6a8622e0dd1cd338109722c5cb52ee212597?page=2
フリードマンは、ロサンゼルスからビデオ通話で取材に応じてくれた。目下、18枚目のソロアルバム『Drama』のミュージックビデオの撮影中なのだ。豊かなメロディーの、インストゥルメンタルの楽曲を制作しており、彼はそれを「人から涙と寒気を引き出す音楽的感動」と呼ぶ。
ソロ作品でも攻めの姿勢に不足はないが、転調やオーソドックスでない技法を用いた実験の話をするときの彼の眼は、喜びに輝いている。「あいつ、投げやりになってきたな、と言われるような奴には絶対になりたくない」と彼は言う。
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2024年後半に出版予定の自伝『Dreaming Japanese』は、フリードマンが言うところの「日本社会に応じた変容」に焦点を当てており、上述の経緯もすべて書かれている。
「それについてはずっと何年も、すごく大勢の人たちから質問されてきました。そんなことをやった人は他に誰もいないって言われたんですよね。一部の人は僕のことを、日本へずらかってテレビに出ているギターの奴だと思っているかもしれないし、多くの人にとってはそれでおしまいなんだろうけど、この本には僕の筋金入りのファンでも知らないようなことまで書いています。初恋や初体験、結婚、離婚とかね」
たしかに、いざこざ話はあるだろう。1990年にメガデスに行き着く前、フリードマンはホームレス生活をしながら、マドンナやキッス、オジー・オズボーンのオーディションを受けては落ちていた。だが、ロックンローラーの回想録にありがちな、行き過ぎた物語はここにはない。
「僕はメガデス時代を通じて、バンド内で唯一のしらふな人間でした。
以下略、(全文はソースをご確認ください)
引用元: ・【音楽】世界的バンドから日本のお茶の間へ─英紙が見た「マーティ・フリードマンの奇妙な人生」 [ネイトのランプ★]
ソロえぐいて
ピアニストもそうでそ
日本語ペラペラなのは当然としても、どこか賢さを感じるよね