【歴史】「倭」「ヤマト」の意味とは? 邪馬台国の場所を知るカギとなる「日本語に隠されたヒント」とは?

1: 樽悶 ★ 2024/07/20(土) 23:56:32.45 ID:yCu9vqKV9
邪馬台国はどこにあったのか――。歴史学者・桃崎有一郎氏は、まず「邪馬台」の読み方は「ヤマタイ」ではなく「ヤマト」であり、そこから多くのことが見えてくるという。続けて桃崎氏が着目するのは、「倭」「ヤマト」という二つの言葉の、古代における定義や使い分けだった。

■入れ子構造の発生

 飛鳥時代のように行政区分としての「ヤマトノクニ」を「倭国」と書くと、女王卑弥呼のもとで中国・朝鮮半島諸国と国交した王朝の「倭国」と、区別がつかなくなる。そこが重要だ。「倭」は、「ヤマト(最上層)」と「ヤマト(中間層)」という、規模が違う2つの領域を示す意味を持ったのである。

 しかも、先に述べた通り、「ヤマト(中間層)」は、その内部にさらに「ヤマト(最下層)」を包み込んでいた。そして、その「ヤマト(最下層)」も最終的に「大和」と書かれた以上、ほかの「ヤマト」と同様に、古い一時期には「倭」と書かれたと考えねばならない。事実、その「ヤマト(最下層)」を支配した「ヤマトのクニノミヤツコ」は、『日本書紀』や『古事記』で「倭(、)国造」と書かれている。

『古事記』には14例「倭(ヤマト)」が現れるが、そのうち大多数の12例が確実に「ヤマト(中間層・最下層)」である(残る1例は解釈を確定できず、もう1例は国生み神話で本州を指す「大倭国(やまとのくにの)豊秋(とよあき)津(つ)島(しま)」〔神野志隆光説〕)。さらに、(歌謡を除く)地の文に現れる「倭(ヤマト)」という地名は8例すべて、「ヤマト(最下層)」と解釈して問題ないことも判明している(直木孝次郎説)。

 以上のように、日本語地名「ヤマト」も、漢字地名「倭」も、3つの異なるスケールで使われた。その関係は、「倭(ヤマト)(最下層)」を「倭(ヤマト)(中間層)」が包み込み、それをさらに「倭(ヤマト)(最上層)」が包み込むという、マトリョーシカのような入れ子構造だった。これら3つの「倭(ヤマト)」は、別々に独立して生まれたはずがない。一つ以上がまず最初に生まれ、残りが派生したと考えるのが自然だ。

■「倭」には固有の意味がない

 ところで、「倭」を「ヤマト」と読むのは、当然ではない。「倭」に「ヤマト」という日本語を宛てることは、日本語話者(倭人)が意図的に、強い理由に基づいて行ったことだ。では、「倭」を「ヤマト」と読むべき必然性は、どこにあるのか。

 そう思って調べてみると、面白いことがわかる。「倭」という字には、意味がない(、、、、、)のだ。「倭」の字の意味とされているものはすべて、ベースになった「委」の字が持つ意味であり、「倭」の字には固有の意味がない。正確にいえば、〈「委」という発音の人や土地を指す固有名詞〉という意味しかない。「倭」は、固有名詞を表すためだけに「委」に人偏をつけて生み出された字らしい。

 通常、漢字に日本語の訓を宛てる時は、その漢字が持つ意味に対応する日本語を宛てる。ところが、「倭」の字には意味がないので、機械的に訓を宛てられない。「倭」と「ヤマト」は、〈この2つが同じ地域を指す〉という政治的判断や決定(、、、、、、、、)によって結合したと考えなければならない。

 ところが、前述の通り、「倭」も「ヤマト」もそれぞれ、3つの規模の地域を指した。では、どの規模の地域を指す「倭」と「ヤマト」が、なぜ、いかにして結合したのか。それを知るには、「倭」と「ヤマト」がそれぞれ、原義としてはそもそもどこを指す地名だったのかを、踏まえなければならない。

「倭」については簡単だ。「倭」は、後漢(25~220年)までに中国が〈日本列島・日本列島人を呼ぶ固有名詞〉と決めた言葉であり、そう決まって以後、中国人も朝鮮半島人も、その用法を逸脱しなかった。「倭」は、数十の小さな「国」を内部に持つ一つの民族全体(、、)と、彼らの居住する一つの広い地域全体(、、)を指した。前述の通り、『日本書紀』でも、注に引用された中国や朝鮮半島の史書は100%例外なく、「倭」をその意味だけで使った。つまり、「倭」は明らかに、統一王朝の国号へとつながる最上層の用法から始まっていた。その数百年の伝統を経た後に出現した中間層や最下層の「倭」は、後から生まれたと考えるしかない。

■「ヤマト」は狭い地域の地名

 では、「ヤマト」も同じように考えられるかというと、できない。統一王朝の国号を「ヤマト」と呼んだ最も古い確実な用例は、8世紀前半の『日本書紀』まで下るのである。(以下ソース)

7/20(土) 6:12配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5640db88dd47f7eec398498634a0963fc555bcc
no title

引用元: ・【歴史】「倭」「ヤマト」の意味とは? 邪馬台国の場所を知るカギとなる「日本語に隠されたヒント」とは? [樽悶★]

3: 名無しどんぶらこ 2024/07/20(土) 23:57:32.98 ID:3xJLLJft0
トヤマ、並べ替えると…はっ!?
4: 名無しどんぶらこ 2024/07/20(土) 23:57:52.03 ID:TeO7eB4i0
宇宙戦艦だろ
5: 警備員[Lv.6] 2024/07/20(土) 23:58:32.37 ID:YkK1yiKv0
日本

日(ジツ)
本(ポン)

ジッポン=ジャパン

6: 名無しどんぶらこ 2024/07/20(土) 23:58:52.69 ID:6lHw2OaH0
倭人伝に出てくるのは北部九州の国の名前じゃん
7: 名無しどんぶらこ 2024/07/20(土) 23:58:56.85 ID:l5VoK8Jv0
>>1
何となくは分からなくもないけど非常に分かりにくい悪文
10: 名無しどんぶらこ 2024/07/20(土) 23:59:35.87 ID:ERSyj+ax0
いいかげん九州説は諦めろ
11: 名無しどんぶらこ 2024/07/20(土) 23:59:42.87 ID:TfJceMd+0
>>3
正解出てた
12: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:00:30.01 ID:ACwhYMTf0
歴史って学問じゃないよ
ファンタジーだね
13: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:00:57.74 ID:dLwfQsFt0
そんな高度なカーストがあっただろうか?
14: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:01:14.80 ID:8btStwFN0
ヤマトゥはヘブライ語
日本人はイスラエルの失われた支族だった!!
15: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:01:44.07 ID:yuPPLGo/0
ヤマトじゃなくてヤナトじゃなかったっけ
16: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:01:55.65 ID:jljhjAMF0
人は記憶型と思考型に大別できる

ヤマトの者が
ヒノモトを建国し
ワを併合

17: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:02:10.71 ID:jBNbSKUn0
内閣の由来は?
18: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:03:39.74 ID:AKhcIut10
ヤマト王子様ー
19: 警備員[Lv.4] 2024/07/21(日) 00:03:42.75 ID:3MqEoSh60
麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志 宇流波斯

ヤマトは大和

20: 警備員[Lv.6] 2024/07/21(日) 00:03:45.42 ID:mKCG3XeQ0
>>10
壱岐は?
21: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:04:00.50 ID:wJKgDgwG0
聖武天皇が短期間だったがみやこにしてた
大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)
跡地は山背国相楽郡(現在の京都府木津川市加茂の辺り)
22: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:05:08.62 ID:jljhjAMF0
山幸彦と海幸彦

山幸彦がヤマト

23: 警備員[Lv.4] 2024/07/21(日) 00:05:18.43 ID:3MqEoSh60
纒向遺跡がヤマト
24: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:05:46.73 ID:Ec0CBFqQ0
ヤマトの諸君
25: 警備員[Lv.4] 2024/07/21(日) 00:06:20.89 ID:3MqEoSh60
九州王朝説・多元王朝説  
 
弥生中期から卑弥呼の時代はもとより7世紀にいたるまで、ヤマト王権のみならず、日本列島内において様々な勢力圏、連合独立地域自治権、が存在していた、
という多元王朝説が古田武彦らによって1970年代以降提唱され、かつては歴史愛好家などから一定の支持を得たこともあったが、 
存在している文献資料の検討や古墳をはじめとする考古資料から、現時点において、学界は「この説は信憑性に欠けている」としている。

なお、これをさらに発展させ、九州王朝のみが存在したとする九州王朝一元説や、大和に王朝は存在せず、本来は豊前の王朝だったとする豊前王朝説、
九州王朝と東北王朝のみが存在し、大和は東北王朝の支配下にあったとする東北王朝説もあるが、多元王朝説論者も含めて学界からは無視されている。

26: 警備員[Lv.4] 2024/07/21(日) 00:06:42.54 ID:3MqEoSh60
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer 
(-略-)私(佐原)は (-略-)
なお、しいて「どちらか」というなら私は大和説で、卑弥呼の使いの時の年号を書いた「三角縁神獣鏡」が近畿を中心に出土していることなどからです。 

  大 多 数 の 考 古 学 者 は 大 和 説 で す。 

参考文献として、『邪馬台国への道』(朝日新聞西部本社編 不知火書房 1995年)を挙げておきます。
(元館長・佐原真)

27: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:07:01.24 ID:gPtcYu8N0
倭は中国語だろ
28: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:07:08.87 ID:+guehoW30
王ってのは皇帝の下の位で
当時の中国では魏の皇帝の下に楚王、燕王、韓王とか居た
親魏倭王の印璽を貰うってのは、魏の皇帝に倭王に任命されたって事

つまり
邪馬台国は狗奴国や熊襲や隼人と争う為に
魏に献上して属国に成っり後ろ楯を得た国って事

29: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:07:40.72 ID:jNRTbwMD0
下らん
山門=ヤマトは各地にある
30: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:07:49.24 ID:+guehoW30
>>10
むしろ近畿説がおかしいのよね
31: 名無しどんぶらこ 2024/07/21(日) 00:09:24.67 ID:DiVmFner0
九州のやまと郡が元
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

アクセスランキング・トップ 10

目次