華やかなブレイクの裏で進行していた病を抱えつつも、それでもなお舞台に立ち続ける理由とは何か。仕事と病気とともに歩んできた30年余りを、コージー冨田氏本人の言葉でたどる。
服の色はわかるが、表情は認識できない
取材中も瞬時に島田紳助氏や板東英二氏の声色に変わるのは流石の一言
――今日私はコージーさんから1メートルほど離れた位置に座っているのですが、どのくらい見えているのでしょうか。
コージー冨田(以下、コージー):紺色の服を着ているのがかろうじてわかるくらいで、表情などは一切わからないです。もう少し離れて2~3メートルくらい先になると、動かなければ人間だと判別できません。すごく曇りが濃い磨りガラス越しに見ているような感覚ですね。
――’25年に糖尿病や視力低下を公表したのはなぜでしょうか。
コージー:もう見えないし、事情を知ってもらったほうがいいかなと思って事務所と相談して公表しました。でも普通にステージやるから、たまに「本当に見えてないの?」って言われますよ(笑)。それはリハーサルと周りの協力のおかげですけどね。
――公表後の変化はありましたか?
コージー:心配されることは増えましたけど、最終的にはみんな普通に笑ってくれるのは変わらないですね。それが一番いい形だと思っています。
――笑いとの距離感も難しそうです。
コージー:難しいですよ。僕の芸で笑うのはいいけど、病気で笑うのは違う。ただ、笑わせる仕事なんで、そこはちゃんとやらないといけないのが難しいですね。
引用元: ・コージー冨田(59)、糖尿病で“視力の大半”を失い人工透析を続ける日々。26歳で発症も放置した後悔 [582792952]
コージー:’00年にテレビ朝日で放送されたものまね番組ですね。渡辺徹さんが司会の番組で、そこでタモリさんのものまねをやったんですよ。
その番組で「笑っていいとも!」にいいとも青年隊として出ていた野々村真さんとマンション久保田さんが出演されていて、「いいとも!」の流れをやったら、お二人から「タモリさんに似てますねぇ」と褒めていただきました。
――一番近くで見ていた人にお墨付きを貰えたのは嬉しかったんじゃないですか?
コージー:嬉しかったですね。出番が終わった後は審査員席の後ろに座っていたんですが、渡辺徹さんから島田紳助さんや板東英二さんなどのものまねを振っていただいたんです。
そのフリを全部野々村真さんに絡めて、紳助さんのときは「真、お前のコメントしょうもないねん」って返したり、坂東さんなら「真君がアホやから」みたいに返したのがドッカンドッカンウケたんです。結果的にその番組で優勝して、そこから一気に仕事が増えましたね。
――タモリさんや島田紳助さんなど、本人が憑依したようなコージーさんのものまねがハマったんですね。
コージー:僕のものまねは完全コピーじゃなくて、自分の中で作るものまねというか「この人はこういう性格だろうな」って決めつけて、ちょっと誇張していくスタイルなんです。だからものまねしている御本人として絡めるのがよかったのかもしれませんね。
――一気に仕事が増えてからは、どれくらいの期間忙しかったんでしょうか?
コージー:5~6年はテレビもラジオも出て、営業もあって働き詰めの日々でした。ほとんど休みもなかったですが、好きな仕事なんでしんどいと思ったことは一度もないですね。
――ブレイク当時、収入もかなりあったのでは。
コージー:最高月収は600万円とか650万円くらいだと思います。でも自分ではあまり稼ぐことに興味はなくて。食うのに困らなくなって以降は、「これで芸能でやっていける」という気持ちでただただ楽しいことを続けていたという感覚です。
――糖尿病だとわかったのはいつ頃だったんですか。
コージー:’93年、僕が26歳の頃ですね。喉が異常に渇いて、それまではほとんど飲まなかったお酒がいくらでも飲めるようになっていました。それで「おかしいな」と思って病院で検査したら1型糖尿病と診断されました。
――売れる前のかなり若い頃から発症されていたんですね。
コージー:そうなんです。でも痛みも何もないからほっといたんですよ。糖尿病の薬も貰っていましたが飲んでなかったし、何もしてないのにどんどん痩せても「まだ大丈夫だろう」と思ってしまっていたんですよね。食べる量が変わらないのに痩せるのは糖尿病の初期症状のひとつなんですが、それでも病院にも行ったり行かなかったりでした。正直、意識が低かったですね。
――糖尿病のほかの代表的な症状には網膜症、腎症、神経障害がありますが、そこからどのように症状が進行していったのでしょうか。
コージー:’07年頃に、靴下をはかずにホットカーペットで寝ていたら足の指に水ぶくれができたんです。それは低温やけどから来る水ぶくれだったんですけど、神経障害のせいで足の感覚がなく、熱さに気づかなかったんです。
――最初に糖尿病と診断されてから10年以上、病状が進行してしまっていたんですね。
コージー:気をつければ途中でほかの症状も察知できたかもしれませんが、自分の病気のことだし、怖いから直視したくないじゃないですか。いま思えばビビってたんでしょうね。
「気がついたらほとんど見えなくなっていた」と話すコージー冨田氏
――こちらも糖尿病の症状のひとつ、視力の低下も同じ時期に自覚されたんですか?
コージー:そうだと思います。おそらく低温やけどに気づかなかったのと同じくらいの時期から視界に糸くずや黒い点のようなものが見える“飛蚊症”がひどくなりました。その後手術もしましたが、白内障にもなって気がついたらほとんど見えない状態になっていました。
――徐々に目が悪くなると気づきそうなものですが……。
コージー:徐々に悪くなったからわからなかったのかもしれません。もともと視力が良くなくてコンタクトや眼鏡は使っていましたし、おそらく40代に差し掛かってから急激に目が悪くなったので老眼かなとも思っていましたし。そうこうしていると気づけば“もや”がかかったような視界でした。
――途中で眼科に行ったりしなかったんでしょうか。
コージー:もちろん行ってましたけど、血糖のコントロールが悪かったので、どんどん悪化していきましたね。
――医師からは節制するように言われてましたよね?
コージー:もちろん言われてました。でもお酒も飲むし、ご飯もいっぱい食べちゃってた。意思が弱いんですよ。
――舞台に出る仕事も多いかと思いますが大変な点は?
コージー:立つ位置の目印になる“バミり”を大きくしてもらったり、導線の確認のためにリハーサルを入念にしてなんとかやれています。舞台袖は暗いのでそれも大変ですね。
――目がほとんど見えなくなったことで、仕事への影響は大きかったのでは。
コージー:当然ですが、字が読めなくなったこともすごく大変です。原稿やセリフは人に読んでもらって覚えなきゃいけない。カラオケも画面の歌詞が見えないから、ひたすら聞いて覚えるしかないんですよね。
――今日の取材にも同席されている、付き人のものまねタレント・どんまいみどりさんのサポートも大きいですか?
コージー:どんまいちゃんには仕事周りでとても助けてもらっていますね。完全に一人だったら今頃仕事は続けていられなかったと思います。
コージー冨田氏と、ものまねタレントで付き人のどんまいみどり氏(左)
――日常生活での困りごとはありますか。
コージー:小さいものは全部なくなります。薬の錠剤だったり、ペットボトルのキャップも落としたら終わり、もう見つからない。あと、ちくわだと思って食べたら皿の柄だったり(笑)。そういうのはしょっちゅうです。
――それでも仕事は続けている。
コージー:糖尿病だから休むってことはないです。ある程度のサポートは必要ですが、普通に生活はできるんですよ。ただ、放っておくとどんどん蝕まれていく病気なのは厄介ですね。
――コージーさんが現在続けている人工透析は血液透析(片腕から血液を一度体外に取り出し、人工腎臓で浄化して体内に戻す腎代替療法)とのことですが、いつ頃から始められたんですか?
コージー:’19年頃に腎臓も悪くなってから週3回、1回4時間の人工透析を続けています。透析中は片腕が固定されて使えないのでもちろん大変なんですけど、「あと何回透析したらライブだ」とか、透析の回数で仕事を数えるようになりましたね。
――糖尿病の症状の悪化や人工透析を続けていることで生活のリズムそのものも変わりましたか?
コージー:そうですね。でもその中でも映画やドラマを見たり、楽しみを見つけるようにしています。
――ほぼ音だけで映像作品を楽しめるものですか?
コージー:テレビドラマとかの視覚障害者用の副音声にものすごく助けられてます。目が悪くなってからでも、あれのおかげで何がどうなっているのかが手に取るようにわかるんですよ。素晴らしいですよあれは。
――仕事も日常生活も相当大変だと思うんですが、それでも続ける理由は何なんでしょうか。
コージー:ここまでお笑いで生きてきて、これしかないからですよ。あと、やっぱり生のステージがいいんです。ものまねはトークも含めて“ショー”なので、お客さんの笑いがあって完成する。だからやれる間は続けていきたいと思っています。
糖尿病に関する講演では時折ものまねも披露し、非常に好評だったとのこと
――同じ病気の人へ伝えたいことは。
コージー:希望を持ってほしい。それしかないですね。落ち込むのは当然だけど、何か楽しみを持つことじゃないでしょうか。
――ご自身の今後の目標はありますか。
コージー:ラジオのパーソナリティをやりたいと思っています。メールとかは読めないけど、声だけでいいし、ものまねも取り入れられますし。
あとは糖尿病を啓蒙する講演会も今後続けていきたいです。真面目な話もしつつ、もちろん本業のものまねショーも一緒にできればいいなと。芸人なのでお涙頂戴的な話ではなく、「笑いあり、感動あり、涙なし」でやりたいですね。
ほとんど視力を失ってしまった世界の中でも、コージー冨田氏は笑いを手放さない。病気のことや今後のことを話す姿からは悲壮感など微塵も感じられず、それこそタモリ氏のようにむしろどこか飄々としていた。
「これしかないから」という一言は、諦めではなく、芸事を全うしようという人間の覚悟なのかもしれない。


