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日本共産党の凋落がとまらない。
今春の統一地方選では、維新が躍進したのとは対照的に大敗。道府県議選、政令市議選で前回獲得した議席の2割、一般市議選でも1割を失う惨状だった。
大敗の背景には、古参党員を除名したため、党内に動揺が広がったことがある。
元党京都府委員会常任委員の鈴木元氏(78)は党歴60年の大ベテランで、党勢拡大の大功労者である。だが、今年1月に出版した『志位和夫委員長への手紙』(かもがわ出版)の中で、志位和夫委員長を批判。すると、「わが党の綱領路線に対する全面的な攻撃」「派閥・分派行為」などとして、今年3月に除名されてしまったのである。
鈴木氏の除名は党員たちを失望させ、党の機関紙「赤旗」は、3月だけで日刊紙と日曜版を合わせて計約1万部も減らしている。
その鈴木氏が、今回、月刊「文藝春秋」の単独インタビューに応じた。
■叩き上げの剛腕活動家
1944年に大阪に生まれた鈴木氏は、高校時代に共産党の青年組織「民主青年同盟」に加入。進学した京都の立命館大学では学生党委員会の委員長に就き、わずか数十人だった学内の共産党組織を1000人規模にまで育て上げた。
部落解放同盟や全共闘との暴力闘争にも体を張って立ち向かい、「京都に鈴木あり」と一目置かれてきた。
「(解放同盟との闘争では)向こうはドスを振り回す者がいて、こちらは椅子を盾に応戦。(中略)私たちは追及を重ね、解同を締め出すことができた。当時の合言葉は『正義は強くなければならない』でした。
大学解体を叫ぶ全共闘の学生と対峙するようになると、暴力はエスカレートしました。素手からゲバ棒や鉄パイプへ、そして火炎瓶へと」
選挙でも鈴木氏の剛腕はいかんなく発揮された。
「1989年の京都市長選では、野中広務氏率いる自民党、公明党、民社党が推す候補に対して、共産党推薦候補を321票差まで肉迫させたこともあります。この一戦は京都政界に知れ渡り、私も手応えがありました」
■毛沢東と同じやり方
そんな鈴木氏が志位委員長批判に踏み切ったのは、「もうあかん」という危機感からだった。
「共産党は、実に40年以上の長期にわたって党の勢力減退が続いています。党員数は50万人(1990年)から27万人(2020年)と半分近くになりました。1980年に355万部あった赤旗の部数は3分の1以下の90万部にまで低迷。さらに決定的なのは、一昨年の総選挙で衆議院は12議席を10議席に、昨年の参議院選挙は改選6議席を4議席にまで減らした。かつて49人(2000年)いた国会議員数は、今や、21人です」
鈴木氏の著書のなかで、とりわけ党から問題視されたのは次のくだりだったという。
〈決定的な誤りは、宮本(顕治)氏によって不破哲三氏と貴方・志位和夫氏の幹部会委員長・書記局長の後継指名が行われた事です。(略)このやり方は毛沢東が林彪や華国鋒を後任に指名したのと同じやり方ではないですか。およそ近代政党とは言い難い『個人独裁』的党運営です〉
■“志位氏が志位氏をトップに推す”というレトリック
共産党は「党内の民主的選挙で幹部を選んでいる」と強調しているが、鈴木氏は「あれは選挙と呼べる代物ではない」と斬って捨てる。
(省略)
■中国共産党よりもひどい
この仕組みは、日本共産党が「覇権主義」として批判している中国共産党以下だと鈴木氏は指摘する。
「お隣の中国共産党で習近平総書記が就任した2012年の党大会の記録によれば、定員205人の中央委員を選ぶのに、224人の名簿が提示されています。つまり、定員より多い名簿が事前に示されているのです。2300人の代議員が無記名秘密投票を行い、そこで19人が落選している。日本共産党のような、予定調和ではありません。この点で、日本共産党は中国共産党以下なのです」
5/9(火) 11:12配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/365ada6bfdf0dad0c005dbda80f5206f581ef564
引用元: ・【日本共産党】「志位和夫はもうあかん!」「中国共産党よりもひどい」 日本共産党を除名された伝説の幹部が激白 [樽悶★]
そんなひどいのより、さらにひどいということだろ。
「話し合いで解決」を自党の党員にすら出来ない事を自ら証明した
日共が政権を取ったら中共よりも酷くなるよ
独立して新党立てなよ
京都の若手を連れて来れなかった時点で負けだろ…