林家正蔵(C)日刊ゲンダイ
【林家正蔵 大いに語る】#6
こぶ平の真打ち昇進は1987年。入門わずか9年のスピード出世だが、これには込み入った事情がある。
【連載初回】(1)来年は落語協会創立100周年、記念行事の実行委員長としてイベント企画を思案中
「当時、落語協会には真打ち昇進試験がありまして、抜擢で三木助さん(先代)が先に昇進してます。僕も抜擢で受験しました。演じたのは『孝行糖』です。審査した協会理事の師匠連の間で、『まだ早い』という意見が多かった中、それを抑えて合格させたのが(柳家)小三治師匠だったと伺いました。『いいじゃないか。あのままいってくれりゃ必ず良くなる』と言ってくださったそうです」
合格したのはいいが、一緒に受けた二つ目の有望株が落ちたことで、「なんであいつが落ちてこぶ平が受かったんだ」と騒がれた。いわれなき中傷である。
「はい。単独で真打ち披露興行をやったことも、『実力がないのに』と言われました。でも僕は、『そういう意見もあるんだ』と受け入れちゃうんです」
落語家になって以来、「親の七光」と言われ続けたので、やっかみ半分の批判は慣れっこになっていたのかも知れない。昇進後はテレビの仕事も増えた。
「ヒロミさんと共演したバラエティー番組、『モグモグGOMBO』では、今でいういじられキャラでした。ヒロミさんに突っ込まれてどぎまぎするのが評判になりました」
私としては、真打ちの落語家がチンピラタレントにいじられるのは不愉快だったが。
「僕は、テレビと落語は別物と割り切ってましたから。それに、大勢の先輩が後押ししてくれ、叱ってくれ、アドバイスしてくれました。親父が生きていたら、もっと甘ったれになっていたと思います。いないのは寂しいけれど、結果的には皆さんに支えられ、現在があるんです」
特に春風亭小朝は頼りになったようだ。
「高座数を増やしたいんですと相談したら、すぐに自分がトリを取る寄席に出してくれました。それが『小朝塾』の始まりです。ところが、想像以上に厳しいものでした」 (つづく)
(聞き手・吉川潮)
▽林家正蔵(はやしや・しょうぞう) 1962年、東京生まれ。本名・海老名泰孝。78年に父である先代の林家三平に入門。前座名は「こぶ平」。80年、三平没後、林家こん平門下へ。81年、二つ目昇進、87年、真打ち昇進。2005年に9代目「林家正蔵」を襲名。10年、落語協会常任理事に就任。14年、落語協会副会長に就任。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6abc95b3dfd0affe9da545fffb7bbd4a32bdef4
https://i.imgur.com/0Io33fr.jpg
引用元: ・真打ちがタレントにいじられても「テレビと落語は別物と割り切ってましたから」【林家正蔵 大いに語る #6】 [フォーエバー★]
子息ならなおさら
ただ宝くじにあたっただけの父親の息子みたいなものだね笑