「僕は暗い歌詞をたくさん書いてきましたが、その多くは自殺に関するものでした」とYOSHIKIは言う。
「それは、僕が死の願望を持っていたからであり、多分いまでも持っているからだと思います。死は常に僕の隣にあります」。そう言って彼がため息をつくと、クリーム色のシルクシャツがわずかに波打った。
やがて、YOSHIKIは照れ臭そうに笑って言った。「でも、僕はなんとか生きようとしています。ですよね? 人々が僕の音楽を好きになってくれると、まるで『この世界で呼吸し続けてもいいよ』と言われているような気持ちになります」
57歳という年齢よりはるかに若く見えるYOSHIKIは、日本で最も長く活動しているロックスターの1人だが、矛盾の塊でもある。
クラシックピアノの神童だった彼は、3000万枚のアルバムを売り上げたロックバンド「X JAPAN」でドラムを叩いて名を馳せた。「あらゆるものに対する反逆者」を自認していたにもかかわらず、1999年には明仁天皇の即位10周年を記念する奉祝曲を作曲した。
また、繊細な魂の持ち主に見えるかもしれないが、世界的な名声を求める自らの絶え間ない探求が、グループの元ベーシストとギタリストの死、そしてボーカルの洗脳騒動につながったのではないかと恐れている。
こうした一連の出来事により、X JAPANは「世界で最も不運なバンド」と呼ばれるようになった(1982年から1985年までバンドのギタリストだったTERRYこと泉沢裕二も、2002年に交通事故で亡くなった)。
私はロンドンのケンジントンにあるホテルの広大なペントハウススイートで、YOSHIKIにインタビューする機会に恵まれた。このスイートは、彼が近々ワールドツアーのロンドン公演をおこなうロイヤル・アルバート・ホールが見えるという理由で選ばれた。
彼は欧米のミュージシャンと数多く共演しているにもかかわらず、英国にいる弊紙の読者のほとんどは、残念ながら自分について知らないだろうということをよくわかっている。それを踏まえて、自身の生い立ちを語りはじめたのだった。
以下続く
https://news.yahoo.co.jp/articles/01480bd14faf79a133474c32fef5b7eb9feb2b2b?page=1
引用元: ・YOSHIKIが激白「自殺についての歌詞を多く書いてきたのは、僕が死の願望を持っているから 死は常に僕の隣にあります」 [牛丼★]
まぁ楽器ぶっ壊すあの感じは自殺念慮がなくもなさそう