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そして、同氏は「私は三つの観点から、これを機に、十代の子供たちが問題を起こした時に、叱りながら、愛を持って支える社会を作っていくべきだと思っています」とつづっている。
「 一つ目はルールの運用は機械的でない方がいい、点です。 車に乗ったことがある日本人であれば知っている通り、高速道路でのスピード違反は常態化しています。首都高速が見える位置でスピードガンを構えていると、ほとんど全てと言っていいぐらいの車が速度超過をしています。けれども全ての車が捕まるわけではありません。どこから見てもルール違反ですが、それはなんとなく見過ごされています。もちろん厳密に運用することもできます。十年ほど前上海に行った時、車がとても静かで驚きました。なぜかと聞くと顔と車のナンバーを常に監視カメラで抑えているので、どのような違反も見つけられるからだそうです。 ルールを厳密に運用する社会は、全ての行為を監視し、機械的に処分することになるだろうと思っています。技術的にはすでに可能です。 また仮に監視カメラがなくても、相互監視も可能です。常に自分のカメラもマイクもオンにしておき、ルール違反行為があれば、そのデータをしかるべきタイミングで外部に出すこともできます。 インテリジェンスの技術には、自ら恥を打ち明けることで、相手にも恥を打ち掛けさせ、その情報をもとに強請るというものがあるそうです」
「二つ目」については、「十代の脳は大人とは違うという点です」と前置きして説明した。
「フランシスジェンセンによって書かれた『10代の脳』という本があります。10代は馬鹿げたことをします。それは、感情を司る大脳辺縁系の急速な発達に、判断と制御を司る皮質の発達が追いつかず、そのアンバランスさが特有の問題行動を引き起こしているからです。 この本を読めば10代がいかに大人と違い危うげか、リスクを好み、適切な判断ができないか。情緒不安定か。がよくわかります。全てがアンバランスさのせいだとは言いませんが、明らかに優位差があります。大人のミニチュアが十代ではありません。言い換えれば十代は失敗をし、学ぶ世代です。何度も失敗するのであれば、問題かもしれませんが、たった一度の失敗で、学校を辞めさせられたり、夢を諦めたり、試合に出られなくしてもいいのでしょうか。私は学ぶ機会にできるように大人が促すべきだと思っています」
続けて「 三つ目に、個人的な体験から人は変われると信じているからです」とし、自身の経験を明かした。
「私は大学時代にスランプになったストレスから、金髪ピアスにしたり、(当時は珍しかった!)、素行も悪く、陸上界の爪弾きものでした。もう為末は終わったなと、あちこちでよく聞きました。自分で振り返っても、当時はやさぐれていたと思います」
https://news.yahoo.co.jp/articles/26284e2a05bd0c0f6c818a64c1a83c27c6cd57cf
引用元: ・為末大氏「出場させる道をさぐって」 喫煙・飲酒でパリ五輪辞退の宮田笙子について再考求める [ひかり★]
傲慢が過ぎる