三菱に欠けホンダにはあったリーダーシップと信念
JBpress2023.2.15(水)横山 恭三
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73967
(略)
筆者は、事業打ち切りの主要な要因は2つあると考える。
一つは採算が取れないことである。
2019年10月31日に地域航空会社3社を持つ米トランス・ステーツ・ホールディングス(TSH)が100機購入の契約を解消したのである。
TSHが契約解消する前の契約総数は387機であった。これで契約総数287機となった。
2007年時点の報道では採算ラインは350機、利益確保には600機の生産が必要とのことであった(出典:J-CASTニュース 2007.6.28)。
(略)
もう一つの事業打ち切りの要因は、型式証明の壁である。
MRJプロジェクトの納入延期のほとんどが型式証明の取得手続きに関わるものだった。
事業凍結への決定打となった大幅な5回目の遅延も、型式証明を得るための大規模な設計変更が理由である。
型式証明とは、民間航空機を対象としたもので、機体の設計が安全性基準に適合することを国が審査・確認する制度である。
安全性基準に適合すると判断した場合に限り、その型式に対して国が適合証明書を発行する。
三菱航空機のエンジニアらは「国内初のジェット旅客機とあって基準の解釈や、どうすれば基準をクリアしたことになるのかが分からず、戸惑い続けた」(三菱航空機の元事業開発担当者)。
(略)
(1)「飛行機作りにはジーザス・クライストが必要だ」
この言葉は、飛行機の「神」、つまり全権を握る存在が不可欠という意味である。
これはホンダジェットの開発リーダーである藤野道格氏が、飛行機設計のノウハウをたたき込まれた米ロッキード(現ロッキード・マーチン)の技術者から教わった言葉である。
ロッキードには「神」がいたという。それがケリー・ジョンソン氏、通称、JCケリーだ。JCはジーザス・クライストの略である。
ロッキードの精鋭部隊「スカンクワークス」の創設者だ。
後にステルス戦闘機を開発し、JCケリーの後を継いだベン・リッチ氏は初めてスカンクワークスに足を踏み入れた時のことを「この世界は一人の男、ケリーを中心に回っていることが分かった」と回想している。
実際、スカンクワークスにはすべての連絡事項をJCケリーに集め、全権を持って決定するための「14カ条のおきて」が存在したという。
これは何もロッキードだけの流儀ではなかった。米航空機の雄、ボーイングが第2次大戦後に確固たる地位を築く立役者となったのがジョー・サッターという技術者だった。
超大型機「747」の開発者としても知られ、ボルト1本の設計さえサッターの許可が必要だったと言われている。
国産旅客機として代表的なホンダジェット、YS-11の開発にはカリスマ技術者と呼ばれるリーダーが存在した。
ホンダジェットの場合、それは藤野道格氏で、日本で技術経営を実践した代表的な人物だ。
藤野氏はホンダエアクラフトカンパニーの社長として、また技術者として同機を開発し、大成功を収めた。
そして、開発開始から販売開始までの30年間、ホンダジェット開発のリーダーを務めた。
翻って三菱重工はどうか。
2008年に開発が始まってから約10年で、三菱航空機の社長を5人もすげ替えてきた。
(略)
最後に、三菱重工の泉澤清次社長は、三菱スペースジェット開発中止を発表した会見において、「スペースジェットの開発で得た知見は、日本と英国、イタリアの3カ国で共同開発する次期戦闘機などに生かす」と述べた。
是非とも次期戦闘機の開発を成功させてほしい。
また、今回の三菱スペースジェットの失敗を奇貨として、日本の航空行政を含む航空機産業界の改革・改善が進むことを願っている。
関連
国産ジェット旅客機「MSJ」の開発中止…三菱重工業、採算見込めず ★4
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1675723185/
引用元: ・【MSJ失敗】米当局の型式証明の許認可の試験内容が事前に解釈不能 大量注文解約時点で不採算 ホンダジェットは一人全権で成功 [ガムテ★]
財閥解体はよ
人積んで飛ぶだけの旅客機すらまともに作れないジャアプが
なに世界のベストセラー傑作戦闘機を次々と生み出すロシア様を下に見てんだ?
無能極まりないw