なぜ人々は線路上で写真や動画を撮りたがるのだろうか。これについては臆測の域を出ないが、「撮影場所」としての線路はそれなりに魅力的である。普段は歩かない場所なので、「非日常感」を出せる。並行する2本のレールは力強く、遠近感を出す構図をつくりやすい。「どこかに続いている感=未来を予感させる感」的なものもありそうだ。
線路の上でバランスを取りながら歩いたり、バランスを崩したりすれば、被写体の自然でダイナミックな動きを引き出せる。『スタンド・バイ・ミー』みたいでカッコイイなど、思い当たるフシはたくさんある。
一方、無許可で線路に立ち入るのは悪いことである。自分の身を危険にさらすことになるし、立ち入った影響で列車の遅延などが発生すれば、人的被害はなくても多くの人に迷惑がかかる。また、線路への侵入は「鉄道営業法」や「刑法」によって罰せられ得るし、鉄道会社に損害を負わせれば損害賠償請求をされる可能性がある。
(中略)
しかし実際には、事はこの2者間では収まらない。SNSのフォロワーから線路侵入に関する批判が始まり、メディアが目をつけてフォロワー以外の人々にも情報が拡散され、炎上が進む。「やらかしてしまった人」は、フォロワーや世間一般の人から批判を受け、直接被害を与えていない第三者に対しても、謝罪コメントを出さざるを得なくなる。
確かに有名人やインフルエンサーなど影響力のある人が悪いこと(かつ、ちょっとかっこよく見えること)をすると模倣犯が出てくるので、「線路侵入は悪いことだ」という中立的な情報が、感情を伴わずに広まるのは悪いことではない。
しかし、炎上事例には少なからずネガティブな感情が含まれている。身から出たさびとはいえ、SNSが普及した現代は、SNS普及前に比べて「やらかしてしまった人」は、はるかに多くの、そして強い批判にさらされてしまう。この背景には、人間が本質的に持っている「盛りたい(実態よりもよく見せたい)欲求」と「正義の鉄ついを下したい欲求」があるのかもしれない。
長いので全文はソースで
Yahoo(merkmal)3/5(日) 7:11
https://news.yahoo.co.jp/articles/f2c1c4fed30f140c8f820cec44c67339bc96a1d6?page=1
引用元: ・【話題】「線路に侵入 → SNS投稿 → 大炎上」はなぜ繰り返されるのか? 発信者と受信者が持つ「現代的欲求」の正体 [アルカリ性寝屋川市民★]