「仙台市若林区荒浜で200~300の遺体を発見」。
2011年3月11日午後10時20分過ぎ、衝撃的な一報が全国を駆け巡った。
津波の犠牲者が膨大な数になると予想させるニュースとして、覚えている人も多いだろう。
しかし、最終的に荒浜地区周辺で見つかった犠牲者は180余り。
200~300の遺体が確認されたとの情報は誤りだった。あの日、宮城県警から一報を受け取った身として、誤報の経緯を振り返る。(報道部・末永智弘)
【写真】宮城県警が2011年3月11日夜、報道機関に参考情報として出した資料 ■「参考情報」で被害把握
地震発生時、私は宮城県警本部にある宮城県第一記者会、いわゆる記者クラブに所属していた。
とんでもない災害になると直感し、県警広報課に「非常事態なので、県警に入った通報を参考情報として提供してほしい」と申し入れた。
誤報だった「仙台・荒浜で200~300の遺体発見」 当時の担当記者が経緯を検証 #知り続ける
https://news.yahoo.co.jp/articles/23726ee0fc43338c7d4c7d6e7b4108c8092212fc
引用元: ・「荒浜で200~300の遺体発見」→実際には180 誤報はなぜ起きたのか [323057825]
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中略
そんな状況だった午後10時16分、「仙台南署管内の荒浜1、2丁目で200~300の遺体が発見されている」との参考情報が張り出された。
「ええっ?」 「何だって!」 悲鳴とも怒号ともつかぬ声が記者室で上がる。
それまで確認された県内の犠牲者は十数人。その数が一気にはね上がった。
記者たちは一斉に電話に飛び付き、会社へ報告した。
私も「大変です!」と本社へ伝えた。共同通信は号外級のニュースとしてこの情報を配信。
テレビやラジオも繰り返し報じた。
■「本当に現場の情報か」 県警本部長だった竹内直人氏(65)も、この情報にがくぜんとなった。
まとまった犠牲者の確認は初めて。事実なら、県の災害対策本部会議で報告しなければいけない。
会議は午後10時半に迫っており、情報の扱いをどうするか葛藤した。
「本当に現場からの情報なのか?」 公にするなら慎重を期す必要があると考え、部下に確認させた。
会議が開かれる県庁へ向かう直前、「本部長、現場からの情報です」と報告された。現場の警察官からの情報なら公表しようと判断し、発表に踏み切ったという。
「大変なことになった」。竹内氏は海岸に200以上の遺体が並んでいる情景を想像し、暗たんたる気持ちになったという。
また「仙台の荒浜で200~300人の犠牲者なら、県内全体でどれくらいの被害になっているのか、と考えた」と振り返る。
翌12日、日の出とともに仙台南署員が遺体の確認と不明者捜索のため荒浜地区へ向かった。
がれき、津波による浸水に行く手を阻まれながら何とかたどり着いたが、200~300の遺体はなかった。
もちろん犠牲者は発見されたが、まとまった数の遺体は確認できなかった。全国に衝撃を与えた情報は、結果として誤りだったのだ。
俺もあのとき死んだ一人だった
幸せなやつめ
人数多いほうがインパクトがあるとおもったんでしょ。
報道ってそんなモノじゃん
死者誤入したんだろ
いや、最終的に確認された犠牲者が180だから
震災当日の夜に発見された遺体はそれに比べてはるかに少なかったはず
なかなか近い数字だったし