「吉野ヶ里遺跡」石棺墓発見で“邪馬台国論争”が再びヒートアップ 歓喜する佐賀県民に、“畿内説”論者の反応は…
さぁ、佐賀県神埼市郡の吉野ケ里遺跡の「謎のエリア」から石棺墓がでてきたことから、邪馬台国をめぐり、色々とヒートアップしてきました!
この件を取り上げた「モーニングショー」(テレビ朝日系)では、玉川徹コメンテーターが歴史の専門家である本郷和人氏に
「邪馬台国がどこにあるかって、そんなに重要な話なの?」と頓珍漢な質問をして失笑を買いました。本郷氏は、日本の成り立ちが天皇家にあり、
その中心の大和王権がどこにあったかを知るのは大事であると意見しています。
盛り上がる5ちゃんねる
このように邪馬台国の所在地については歴史学者が大いなる関心を寄せてきましたが、それはネットでも同じです。かねてより
「畿内説」「九州説」がありバチバチとしていましたが、そこに突然、割って入ってきたのが「佐賀説」。「九州説」が、「福岡説」「佐賀説」
に分かれる形となりました。元々吉野ケ里遺跡説はあったものの、ついに私の住む佐賀県が「ドヤ!」と言えるようになったのです。
これ以来、匿名掲示板5ちゃんねるでは、邪馬台国がどこにあったかを巡っての論争がずっと続いており、玉川コメンテーターの
無関心さを嘲笑うかのように、ヒートアップしているのであります。6月8日現在、<【佐賀】邪馬台国“論争”に「一石投じる」世紀の発見?
吉野ケ里遺跡「石棺墓」開封 奈良県からは冷静な反応も>…というスレッドが登場。テレ朝newsが元ネタですが、
同記事には以下の記述があります。
〈ロマンを抱いてきた佐賀県民は…。
佐賀県民:「めっちゃうれしいなと思いました。佐賀は『魅力ない』って言われているけど、めっちゃあるし『過去に栄えてた』って言われてたら、すごくうれしい」
佐賀県民:「小学生とかに教える際に『佐賀はすごかったんだよ』と教えられたら、すごくいい」
佐賀県民:「(Q.佐賀説が有力になるのでは)ぜひあってほしい、絶対。それで見に来るとか、この辺が(経済的に)潤うとかはどうでもいい。
俺はもう大好きだから、卑弥呼がここであってほしい」〉
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/nation/dailyshincho-996498.html
引用元: ・「吉野ヶ里遺跡」石棺墓発見で“邪馬台国論争”が再びヒートアップ 結局「邪馬台国」ってどこなの? [837857943]
ヤンマオタイ族だろ
坂靖・著『ヤマト王権の古代学―「おおやまと」の王から倭国の王へ』(2020/2/5)
著者の坂氏は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の学芸課長を経て、現在、奈良県地域振興部文化財保存課の主幹という、
現役の奈良県の考古学者でありながら、邪馬台国北部九州説の立場をとっています。
(中略)
「ヤマト王権は、布留式期に日本列島各地に強い影響力を行使することをはじめたのであって、
初期のヤマト王権の版図は、きわめて限定されていたとみるべきである。
・・・弥生時代中期から後期の近畿地方においては、中国との直接交渉を示す資料がほとんど知られていない。
楽浪形土器は北部九州に集中し、松江市以東にはまったく認められない。
邪馬台国の時代、すなわち庄内式期においても、魏と交渉し、西日本一帯に影響力をおよぼしたような存在が、奈良盆地にはみあたらない。
邪馬台国の所在地の第一候補とされる纏向遺跡の庄内式期の遺跡の規模は貧弱であり、魏との交渉にかかわる遺物がない。
さらに女王卑弥呼の居所は、出入りするものは男子が一人いただけであり、そこに宮室・楼観・城柵が厳かに設けられ、
常に人がいて、兵が守衛するような場所であったと記されるが、纏向遺跡にはそのような場所を認めることはできない。」
畿内説は今となってはロマン
なんも無いんだから名物の一つぐらいくれてやれよ