第2次大戦中に「命のビザ」で多数のユダヤ人を救った外交官、杉原千畝(1900〜86年)の功績を伝えるリトアニア・カウナスの杉原記念館が、日本に加えて地元や世界各地からの来館者を増やそうと、リニューアルの構想を進めている。日本人来館者の激減による存続の危機を打開するためだが、記念館は「ウクライナ危機の今こそ、千畝の物語を世界の人々の心に届けたい」と願う。
小高い丘の住宅街に、旧日本領事館を改装した杉原記念館がある。杉原の執務室やビザの複製などが展示され、新型コロナウイルス禍前は年約2万人が訪れた。しかしロシアのウクライナ侵攻の影響も加わり、8割以上を占めていた日本人来館者が激減。一時休館を余儀なくされ、職員は10人から3人に減らされた。
ラムナス・ヤヌライティス館長(65)は「岐阜県からの寄付と日本の旅行社のクラウドファンディングなどのおかげでコロナ禍を生き延びた」と感謝する。一方で「コロナ前は団体客が1日に3、4組来たが、今は月に6、7組だ」と嘆く。
記念館の歴史家リナス・ベンツラウスカスさん(43)は多くの避難民を生み出したウクライナ戦争に言及し、「千畝は『私は日本政府に背くことになるかもしれない。しかしそうしなければ、私は神に背くことになる』と言った。困難の中で個人が何を選択すべきか、千畝の行動は現代に問いかけている」と話す。
杉原千畝(すぎはら・ちうね) 岐阜県生まれ、少年期を名古屋で過ごした。外務省ロシア語留学生としてハルビンに留学し、1924年外務省書記生として採用。39年リトアニア・カウナス日本領事館領事代理。40年に同館に押し寄せたユダヤ難民に日本通過ビザを大量発給した。カウナスの杉原記念館によると、発給したビザは2139枚、救ったユダヤ人は6000人以上。47年の帰国後に外務省を退職。戦後は貿易会社などで働く
引用元: ・「日本のおかげでコロナ禍を生き延びた」リトアニアにある杉原千畝の記念館 [Gecko★]
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