お年玉をくれたのは、組員をはじめとする組の関係者たちでした。正月、事務所に顔を出すと、幹部はもちろん、部屋住みの若い衆まで私にお年玉をくれるのです。
「若、明けましておめでとうございます。これ少ないですけど……」
そう言って入ったばかりの若い衆も1万円ほどくれました。部屋住みはヤ◯ザの修行期間のようなものですから、ほとんどお金はもらえていないはず。どうしていたのか不思議でしたが、のちに兄貴分から「正月くらい、若にいいところを見せろ」などとお金を渡されていたことを知りました。常に金欠状態の若い衆にしてみれば、ノドから手が出るほど欲しい1万円だったでしょうが、涙を飲んで私に回していたようです。
一方、これが中堅クラス以上の組員になると話が違ってきます。小学校の低学年の時でも、少なくとも5万円はくれました。幹部連中はそれを見たら黙っているわけにはいきません。10万円をハワイの空港なんかでかけてくれるレイのようにして「若! あけましておめでとうございます」という調子でした。さらに、その上の若頭になると、その10万円のレイを二重にして……といった具合なので、組員だけでも軽く100万近くになってしまうわけです
さらに、父の兄弟分の親分さんがくると「若、これで好きなものでも買いな!」と封筒に入ったお札の束を渡されるなんてこともありました。記憶が定かではないのですが、あの厚みを思えば30万円は入っていたのでは……?
このお年玉は、年齢が上がるにつれて金額も比例して上がっていきました。
高校生の頃には当時の大卒新入社員の年収を軽く上回るような額をもらった年もあります。その頃の日本はちょうどバブル絶頂期、組員たちの景気も良かったのだと思います。組員にとって正月はヤ◯ザ特有の“見栄”を張る場であり、私へのお年玉はその格好の舞台ということだったのでしょう。
もっとも、それだけのお年玉を手に入れても自由には使えませんでした。
お年玉はもらうとすぐ祖母に没収され、その厳重な管理下に置かれたため、私が使うことができたのは、ほんのわずかでした。そういう意味では、金銭感覚が大きく狂うということはなかったのかもしれませんが、一度、現金を目にしている分、心の片隅ではいつも「僕はすごい大金を持っているんだぞ!」などと思っていました。う~ん、我ながら嫌な子どもでしたね。
引用元: ・「組員からもらうだけでも100万円」ある年は“新入社員の年収”を軽く超えたことも…日本人が知らない「ヤクザの息子のお年玉事情」
今のピーピーのヤ◯ザだらけで