先の大戦(大東亜戦争)について、さまざまな議論があることは否定しない。だが、戦没者の追悼・慰霊とは別問題だ。
今日の「平和」と「繁栄」は戦没者(英霊)の尊い犠牲の上に成り立っている。そう思う多くの国民が、靖国神社を参拝するのは自然な姿だ。
そうした自然な気持ちを発露することを、事実上、禁じられている人がいる。わが国の首相たる「内閣総理大臣」だ。
首相の靖国参拝は、現行憲法の施行後も例大祭を中心に普通に行われていたし、国際問題にもならなかった。政治問題化したのは、三木武夫元首相が1975年8月15日に参拝した際、「私人」としての参拝を強調してからだ。
以後、参拝の都度、「私人」か「公人」かが問われるようになったが、福田赳夫、鈴木善幸ら各首相は、例大祭だけでなく終戦の日にも靖国神社に参拝した。
これを打ち壊したのが、中曽根康弘首相による85年8月15日の「公式参拝」だった。
なぜ、公式参拝にこだわったかといえば、中曽根氏が掲げる「戦後政治の総決算」の象徴として、この問題を位置づけたからだ。しかし、そのやり方は乱暴だった。
中曽根氏は神道形式を無視した形で参拝を強行し、そのうえ、神道としてあり得ない「A級戦犯の分祀(ぶんし)」をするよう靖国神社に圧力をかけた。これ以降、96年の橋本龍太郎首相まで、首相参拝は途絶えた。中国が、ことさらに批判するようになったのも、この時からだ。
筆者は、首相の靖国神社への参拝は行われるべきだと考えている。しかし、政治的なパフォーマンスで参拝するのは、やめてほしい。そんな参拝は、戦没者を低レベルの「政争」に巻き込むだけだ。靖国神社や遺族たちも決して望んでいないのではないか。
外交的問題もあるが、それ以上に重要なのは、国内の議論を熟成することだ。国内論議の乱れが、内政干渉ともいえる外国の容喙(ようかい=当事者でないものが横から口出しすること)を生む原因だと考えるからだ。
首相参拝や、社会的儀礼の範囲内の玉串料奉納が「信教の自由」を侵すものだとは思わない。いわゆる「A級戦犯合祀(ごうし)」も、53年の国会決議で、戦犯受刑者の遺族と、一般戦死者の遺族を同等の扱いとしたことを受けたものだ。
日本政府は「東京裁判によって下された刑は、わが国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」との立場だ。戦後78年。そろそろ、首相が静かに靖国参拝を行える環境を再構築すべきではないか。
続きは産経新聞で
https://www.sankei.com/article/20230820-DZOGNCURKRA3FEERQXT3UKAUHM/?outputType=theme_weekly-fuji
引用元: ・【産経新聞】靖国神社 政治的パフォーマンスの参拝はやめよ
それが出来ない奴は政治家の刺客は無い
自民に敬意があるように見えるおまえはネトウヨ
よく読めや。
公私人曖昧にしないでガッツリ参拝しろっていってんだが。
まず産経の社説だということを認識しろw
外交の現状認識なしに
公人として参拝しろと言っているんだよね
参政党みたいなことを言っている産経
昭和天皇が無条件降伏して「戦争に反対だった」って言ったお陰で、
英霊が「聖戦に散った勇士」でも「国土を守った英雄」でもなくなったからな
アホなネトウヨはそこら辺誤魔化して「正しい戦争だった 」「日本を守った」と嘘ついてる
戦前の日本人が守り中心だった「天皇」なんて微塵も理解してない連中が、
靖国参拝だ‼️って雰囲気で叫んでるから醜悪なコスプレ大会になってんだろ
日本人として当然だと思ってるよ
そこに政治的な意味はなく、日本を守ってくれた先達への感謝しかない
それにケチをつける連中の心が汚いだけだろ?
はい 解散
そもそも本来のルールは戦没者のみ
今の靖国ってのは単なる都合の良いいい加減な存在なんだな、保守的思想の観点からしても