そんな土肥氏はジーコジャパンの常連メンバーで、2006年のドイツW杯メンバーでもある。当時のチームには個性豊かなタレントが揃っていたなかで、中田、中村、小野と時代が違えばそれぞれが代表の中心に立っていたであろう天才プレーヤーが並び立っていた。
中田は技術だけでなくフィジカルの強さも備えた選手で、中村と小野はテクニックに優れたファンタジスタタイプでプレースタイルもそれぞれ異なっていたが、土肥氏は3人の違いについてこう表現している。
「俊は頭の中で『ここにパスを出したらこうなる』という最短ルートが常に見えている選手。そのうえで自分のレベルを落としてでも、やるべきことをプレーで示し、周りも一緒に上げていくイメージです。
一方で、ヒデは周りに合わせて自分のレベルを落とすことなく『自分でここまで上がってこい』と引っ張っていくタイプ。伸二は伸二で、俊のように周りを引き上げるわけではないけど、『自分が変わればいいんだ』と周りに合わせてプレーを変化させるようなイメージです。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康みたいに三者三様です」
カリスマ性があり、背中で引っ張っていく中田。周囲と歩幅を合わせて進む中村。そしてマイペースに周囲との調和を目指す小野。戦国時代に天下を取った三英傑のようにそれぞれ三者三様のパーソナリティーを発揮していたという。
小野伸二の「止める、蹴る」は一級品「日本で彼の右に出るものはいない」
小野が度重なる怪我に悩まされていたこともあり、3人揃ってプレーする機会は決して多くはなかったが、中村と中田はドイツW杯まで揃ってレギュラーとしてプレー。中村がより高い位置に入り、中田はダブルボランチの一角を務めた。
土肥氏は「W杯の時にはポジションもそうですけど、ヒデが一歩引いていましたね。もし、ヒデが昔のように前に出ていたら、俊は試合に出れていなかったかもしれない」と2人の関係性について振り返る。
そして、出番が限られていた小野については「伸二は周りに気を使う性格だったのもあって前に出てくることはなかったですけど、彼がもっと自己主張をしていたら、どうなっていたんだろうというのは想像することはあります。単純に『止める、蹴る』のボール扱いの部分だけでいえば、日本で彼の右に出るものはいないですから」と語っていた。
引用元: ・【サッカー】「信長、秀吉、家康のよう」元日本代表GKが語る中田英寿、中村俊輔、小野伸二 「彼がもっと自己主張してたら…」 [ネギうどん★]
小野 トキ
中村 ジャギ
遠藤 アミバ
正解じゃない
楢崎は若島津っぽいけど若林