ベトナム北部の中央直轄市のハイフォン出身で、「インド難民」として来日した。ベトナム戦争後の混乱から逃れようと家族で出国したのは3歳の時だった。10隻の船で出港したものの、当時、難民を全て受け入れていた「第一収容港」の香港にたどり着けたのは山本さんが乗った船だけだった。受け入れ国となった日本で、父親の友人を頼り、県内に移住した。
「小学生の頃の経験が起業に役立った」という。幼かっただけに日本語を聞き取り、話すことができるようになるのは早かった。両親や親戚が行政機関に行くときには通訳代わりとなり、さまざまな手続きを代行した。「子どもの頃の経験があるので、手続きの書類を作ることは全く苦にならない」と笑う。
事業の一つである人材派遣業は、ベトナム人を登録制ではなく、直接雇用する。仕事を始める際の家電製品購入など住まいの初期費用を負担。運転免許の取得も積極的に支援する。「日本の新社会人ならば親が面倒を見てくれると思う。だが、彼らの親はベトナムにいるのでそれはできない。生活基盤が整うことで仕事にも積極的になり、派遣先にも喜ばれ、良い効果が生まれる。さらに運転免許を取り、移動ができるようになれば世界が広がる」
コロナ禍では困窮するベトナム人ら外国人のために弁当や1人5キロの米を無償配布した。「国内各地で追い詰められたベトナム人が犯罪に走る姿をニュースで知り、心を痛めていた。配布した米を抱えていたベトナム人を見た警察官が不審に思い呼び止めたが、私のところでもらったと聞き、すぐに納得したらしい」。地道な活動が行政機関からも信頼を得ている。
無償配布したのは、地域に貢献したいとの思いがあったからだ。「弁当は外国人だけでなく困窮する日本人も配布の対象。私も地域の一員なのだから、地域で推進する多文化共生の活動をしようと思っただけ」。当たり前というような顔でそう話した。
12/19(火) 12:38配信 毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee1ed86af04b08f5ffee81e4f9b80fd70367f7e4
「群馬県内にリトルベトナムを作りたい」と話す同県玉村町在住の山本雄次さん=同県伊勢崎市で2023年11月13日午後2時52分、庄司哲也撮影
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20231219-00000041-mai-000-1-view.jpg?pri=l&w=425&h=640&exp=10800
引用元: ・【群馬】「群馬にリトルベトナムを作りたい」 "難民"で来日の男性が地域貢献 [シャチ★]
我が北関東地方はベトナム人の助けなくして地域経済は回らないからな