ただ、新型コロナで家族を失った遺族のその後を追うと、感染対策を巡る共産党の「勝利」に異を唱えることの困難さを思い知らされた。
◇「人災」批判の男性を拘束
3年前の冬、武漢のカフェで、父親を亡くした女性に話を聞いた。「ここで現実に起きたことは悲惨でした。政府が言う『偉大な成果』などではありません」。そう語っていた彼女に再び会いたいと思い、外国製のメッセージアプリで連絡を取った。
しばらくして返信が届いた。「警察はこのやりとりも見破ることができる。何も答えられない。ごめんなさい」。短い文面から、当局による締め付けの厳しさが伝わった。
過去に取材した遺族の中には当局に拘束された人さえいる。「感染爆発は『人災』だ」と地元政府を厳しく批判していた張海さん(54)だ。
世界で初めて新型コロナの流行に直面した武漢の人々は過酷な状況に置かれた。集団感染が初確認された19年末の時点で、複数の医師が警鐘を鳴らしていたにもかかわらず、当局はそれを黙殺し、かん口令を敷いた。
初動対応は遅れ、住民らはウイルスの脅威に無防備のままさらされた。
張さんの父親も、感染リスクを知らぬまま骨折治療のために武漢の病院に入院し、新型コロナに院内感染して亡くなった。
張さんは「情報隠蔽(いんぺい)によって、父を含む無数の命が奪われた」と主張し、湖北省政府などを相手に損害賠償訴訟を起こそうとした。
◇監視や尾行で日常奪われ
裁判所が訴えを受理しなかった後も、当局の圧力に屈せず、海外メディアの取材やネット交流サービス(SNS)を通じて発言を続けた。
そんな張さんが拘束されたのは23年2月。当時、武漢で医療給付の減額に反対するデモが発生しており、その情報を張さんがSNSで海外に拡散したことが問題視されたようだ。
その後、公共秩序騒乱罪にあたるとして逮捕・起訴され、非公開の審理で有罪判決を受けたとの情報もある。
こうした厳しい現実に絶望し、24歳の娘を失った楊敏さん(53)は国外脱出の道を選んだ。23年3月、武漢から陸路で隣国ラオスへ国境を越え、今はオランダで暮らす。
当局の責任を追及する声を上げてきたが、監視や尾行、脅迫によって平穏な生活を奪われた。共に闘ってきた張さんが拘束される事態にも直面し、出国を決意した。
楊さんは「悪夢のような土地を離れ、生まれ変わった気分です」と弾圧を逃れた安堵(あんど)の思いを語った。
そのうえで「どこにいようと、非業の死を遂げた娘のために、残りの人生をかけて真相の公表を求めていきます」と強調した。
中国で人権擁護活動に取り組み、現在は米国で暮らす楊占青さん(46)は「圧力は強まり、希望は小さくなるばかり。真実を求める遺族が支払う代償はあまりに大きい」と指摘した。
これまで有志の弁護士らと共に、武漢の遺族ら35人に対し、訴状作成など法的支援をしてきたが、今やその大半と連絡が取れない。
当局の圧力は、本人だけでなく、家庭や職場にも及ぶ。時には金銭の力で沈黙を迫ることまであるそうだ。
楊占青さんは「我々が支援していた複数の遺族が、最大で数十万元(数百万円)の金銭補償を提示され、実際に受け取った事例もあると聞いている」と証言した。
ある遺族は、末端の行政機関「街道弁事処」から秘密の金銭補償の条件として、今後は一切の情報発信をやめ、他の遺族とも交流しないことなどを書面で約束させられたという。
名目は賠償ではなく「見舞金」などとされ、当局は感染対策の非を認めず、謝罪することもなかった。
楊占青さんは「実質的な賠償金であり、我々の取り組みの一定の成果とも言える。だが、訴訟などの法的手続きを無視し、遺族の口を封じるようなやり方は極めて不当だ」と批判した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5ccc6de81462fb21c29829ca9bb2882a33adcd81
引用元: ・【中国武漢】「情報隠蔽によって、無数の命が奪われた」と厳しく批判していたコロナ遺族、監視や尾行で日常奪われ・・・金銭による口封じも
中身は別人が成り代わっているんじゃね?