そして、末期の胃がんで死期を悟った桐島聡さんが、搬送先の鎌倉市の病院で「私が桐島聡です」と自供したため、足取りを掴めていなかった公安当局も唖然とするような展開となったのであります。というのも、桐島聡さんの所属先からは「海外逃亡している」という有力な情報がすでにあったことから、素直に国内にいないものと考えていたところ、まさかのご近所神奈川県藤沢市の工務店に少なくとも二十数年以上勤務していたことが分かって当局大失態であります。下手すると、44年いたことになります。なんだそれは。
すでに周辺取材を済ませた報道は多数ありますが、住んでいたアパートは工務店によって法人契約で社宅扱いで借り上げられていたと見られ、また、近所の繁華街に1人で頻繁に出没しては飲んだり歌ったりと享楽的で明るい一面を持っていたようです。他方で、長年住んでいたアパートに移り住むまでに騒音問題なども起こす一方、周辺賃料の相場で見ると風呂・トイレ無しの古い6畳弱のアパートの家賃は月額3万5000円から4万円ほど。当該市からは生活保護世帯の住宅扶助支給物件とされていたことから考えると、金銭的にはかなり厳しい生活を長年に渡って送っていたものと見られます。
指名手配をされ潜伏生活を強いられてまともな仕事を得ることができない桐島聡さんは、自称「内田洋(ウチダヒロシ)」として、いつ逮捕されるか分からない恐怖に怯えながらなかなかしんどい人生を送らなければならなかったのではないかとも思います。
他方、鹿島建設爆破事件(1974年)などのテロ事件の共謀・実行の事案で見るならば、当時21歳の若者に過ぎなかった桐島聡さんが果たした役割は限定的であることを鑑みて逮捕起訴されたとしても実刑15年程度で出てこられたのではないかとも見られています。
そもそもが、戦争中に日本に強制連行された中国人が悲惨な労働環境に耐えかねて蜂起し400人以上が亡くなった花岡事件(1945年)を理由に鹿島建設への爆破を仕掛けたことが背景にありますが、
引用元: ・【逃亡者・桐島聡】50年近い「セルフ終身刑」組織とは縁切り手引きなしか
楽しそう【独自】音楽にあわせバーで楽しげに踊る姿…桐島聡容疑者とみられる男の動画入手
https://youtu.be/GLad8mDxQZI?si=D8ZSe-00fhLZ2Vnb
それに比べて俺は、、
逃亡もしてないのに
それなのに50年も逃亡生活を続けていたなんてバカだな