「なんとか生きてるよ」 各地で祈りささげる姿 東日本大震災13年

1: 蚤の市 ★ 2024/03/11(月) 11:28:20.25 ID:nud4/Ukf9
 13年前の3月11日金曜日の朝――。いつものように家族で朝食を囲んだ。自宅を出ていく家族と、「行ってらっしゃい」「行ってきます」と言葉を交わした。 それは、次の日もその次の日も、当然やって来るものだと思っていた。

でも、あの日を境に、その日常はなくなってしまった。誰かの父や母、夫や妻、息子や娘、きょうだいだった約2万人の命とともに。

11日、東日本大震災は発生から13年を迎えた。

この日の朝、慰霊碑や浜辺には、大切な命に思いを寄せながら、祈りをささげる人々の姿があった。

宮城県気仙沼市の慰霊碑では、小野寺憲二さん(56)が静かに目を閉じて手を合わせていた。母のサチ子さん、兄の節夫さんを亡くした。「13年はあっという間だったけど、なんとか生きてるよ」。そう2人に声をかけた。

犠牲になった子どもたちを供養する同県東松島市の地蔵尊。住職の石川幸秀さん(50)は手を合わせて、こう話した。「志半ばで亡くなった子どもたちのことをずっと思っています」

福島県いわき市の薄磯海岸には、太平洋から昇る日の出に向かって、手を合わせる人たちがいた。

震災のあった2011年にボランティアで訪れて以来、毎年来ているという東京都文京区の上田泰正さん(64)は「復興している部分もあるが、原発事故の影響が続いているところもある。震災後に亡くなられた方もいて、自分が元気なうちは通い続けたい」と話した。

花を海に手向けた愛知県西尾市の辻本愛さん(43)は毎年、早朝にここを訪れ、知人の女性とともに祈りをささげている。「この日に海を見られないという人もいる。そういう人たちの代わりになることができれば」と言った。

岩手県大槌町の大槌町役場跡地では、遺族や町職員らが参列して合同追悼式が行われた。

倉堀康さん(40)は町職員だった兄の健さん(当時30歳)が犠牲になった。「自分たちと同じようなつらい思いを次の世代にはしてほしくない。忘れないように伝承していきたい」と語った。

大槌町で毎朝通る散歩コースを歩いていた元漁師の関谷益男さん(74)は、津波で漁船を流されて漁師をやめざるを得なかった。震災からの日々を振り返って、こう言った。「13年たって、やっと落ち着いたかな」

東日本大震災は11年3月11日午後2時46分に発生した。三陸沖を震源とする国内観測史上最大となるマグニチュード9・0を観測し、巨大津波が沿岸部を襲った。関連死を含む死者・行方不明者は2万2222人。【猪飼健史、北山夏帆、手塚耕一郎、宮武祐希】

毎日新聞 2024/3/11 11:09(最終更新 3/11 11:09)
https://mainichi.jp/articles/20240311/k00/00m/040/056000c

引用元: ・「なんとか生きてるよ」 各地で祈りささげる姿 東日本大震災13年 [蚤の市★]

3: アフターコロナの名無しさん 2024/03/11(月) 11:30:50.17 ID:r+r1s6jm0
忘れないのは大事なこと
明日は我が身だ
備えておけ
13: アフターコロナの名無しさん 2024/03/11(月) 11:35:27.90 ID:YpWoiTQ10
除染利権で肥え太ったク◯がいるという事実を忘れるな
除染なんかしなくてもいい地域がほとんどだったのに
15: アフターコロナの名無しさん 2024/03/11(月) 11:37:19.72 ID:d6VmpOCd0
何十年も毎日一緒に暮らして奴が突然死んでいなくなるって結構ヘコむよね
20: アフターコロナの名無しさん 2024/03/11(月) 11:41:17.55 ID:2baIftfe0
事故原発マネーで焼け太り
23: アフターコロナの名無しさん 2024/03/11(月) 11:48:40.79 ID:ZcniW6fL0
教訓なのか今、千葉では地震対策バッチリみたいじゃん
25: アフターコロナの名無しさん 2024/03/11(月) 11:49:59.49 ID:I8aOwLVy0
たまたま別用で”その時”に職場や家を離れてたことで難を逃れた友人家族もいれば、現地人と結婚し震災2日前に引っ越したが震災後音信不通でSNS更新も止まったままの友人もいるから、この時期になると色々思い出すよ…
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