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角界のご意見番だった元横綱北の富士氏が逝った。NHK相撲解説者の北の富士(本名・竹沢)勝昭氏が亡くなったことが20日までに分かった。82歳だった。72年初場所後に52代横綱に昇進して通算10度優勝。引退後は千代の富士、北勝海(現八角理事長)の両横綱らを育てた。協会幹部として期待されたが早期退職で解説者に転身し、歯に衣(きぬ)着せぬ論評で人気があった。12月、東京の九重部屋でお別れの会が開かれる予定。
昨年春場所からNHKの解説を「休場」していたが、7月の名古屋場所で、約1年半ぶりにVTR出演。「皆さまお久しぶりです」と元気にあいさつし、場所の展望を語っていた。解説の復帰も間近と思われただけに、突然の死にショックは広がった。
細身だったが現役の横綱だった千代の山(九重親方)にスカウトされ、中学卒業と同時に出羽海部屋に入門した。細身で新弟子検査は1度不合格も57年初場所で初土俵を踏んだ・幕下も当時の解雇制度ぎりぎり昇進と苦労した。それでも必死に体を大きくし、稽古にも励んで順調に出世。66年名古屋場所後に大関、70年初場所後に盟友だった玉の海と同時に横綱昇進した。
人気者プリンスの貴乃花とは好勝負を演じた。物言い続きの因縁の勝負では日本中の敵役になった。北玉時代を期待されたが、玉の海が急逝してショックで低迷。73年名古屋場所で連敗するとあっさり引退した。
74年9月に井筒部屋として独立し、3年後に師匠が死去し、合併する形で九重部屋を継承した。弟弟子だった千代の富士をウルフと命名し、速攻相撲に変身させて横綱まで育てた。92年には千代の富士に部屋を譲った。86年からは理事に就任して審判部長、新設広報部長などを歴任。理事長候補とも言われたが、98年に高砂一門理事候補から外れるとあっさりと退職。その後は解説者として、土俵ににらみを利かせていた。
◆北の富士勝昭(きたのふじ・かつあき)本名竹沢勝昭。1942年(昭17)3月28日、北海道美幌町生まれ。同郷の元横綱千代の山の誘いで出羽海部屋から57年初場所初土俵。63年春新十両、64年初新入幕、66年名古屋場所後大関昇進。70年初場所3度目の優勝で玉の海と同時で52代横綱に昇進。優勝10回、三賞6回。現役時185センチ、135キロ。得意は左四つ、突っ張り、寄り、外掛け。74年名古屋場所で引退して井筒部屋として独立。77年に九重部屋を継承して千代の富士、北勝海らを育てる。92年に元千代の富士の陣幕親方と名跡交換して部屋を譲る。98年に退職後はNHK解説者を務めていた。
引用元: ・【訃報】元横綱・北の富士さんが死去、82歳 千代の富士、北勝海の両横綱を育成 歯に衣着せぬ解説で人気 [鉄チーズ烏★]
お疲れさまでした
相撲解説が寂しくなるな
勝昭さんの解説は大好きでした
ご冥福を御祈りします
気力の衰え