〈今後は野球の道ではなく、新たに目標を持ち、社会に出る準備をすることにしました〉
慶応大学4年の清原正吾(22)がこのようなコメントを発表した。一介の学生に過ぎない彼がわざわざこのような声明を発したのも、彼がかの清原和博(57)の長男であるからに他ならない。
「お父さんの生きる活力になれたら」
スポーツ紙デスクが語る。
「小学生で野球を始めるも、本人いわく『(父親が覚醒剤取締法違反で逮捕される)事件もあって、当時は父親が嫌いになり、野球の道からも外れた』そうです」
中学はバレーボール、高校はアメフトに打ち込むも、
「執行猶予が明けた父親が社会復帰すると、『お父さんの生きる活力になれたら』と、大学から再び野球を始めた。6年ものブランクがありながら伝統校の4番を任されるまでに成長したのは、努力のたまものか、遺伝子のなせる業か……とにかく奇跡というべき快挙です」
ドラフト前にプロ志望届を提出。しかし、指名には至らなかった。やはりそこまでの実力だったのか。
「残念ながら、支配下で指名される水準には達していませんでした。ただ、知名度を加味すれば最下位で指名される可能性はあった。グッズを作ればペイしますしね。父親の出身校PL学園後輩の立浪和義氏が中日の監督を辞めなければ、コネで入れたかもしれません」
一方、育成枠では、
「実は複数球団が検討していました。ただ、早慶レベルの学生ともなると、本人によほどの覚悟がない限り、指名しづらいもの。正吾君側から“育成でもOK”という表明もなかったため、指名は見送られました」
社会人野球の可能性は?
「一般的にドラフト候補選手には、事前に社会人側から『希望に沿わない指名だったら、ウチに来て』みたいな誘いがあります。彼には来なかったようです。もっとも、慶大の堀井哲也監督はアマ球界の顔役ですから、頼めばどこかに押し込んでくれたはず。それもないということは、本人にその意思がなかったとみるべきでしょう。独立リーグからは多くのオファーが来ましたが、さすがにバイトしながら野球を続ける気はなかったのでしょう」
本人が決めることとはいえ、もったいない気もするが、
「好きで野球をしていたのではなく、父親のため。もう十分に目的を果たした、と踏ん切りがついたのだと思います。彼は一貫して『家族のため』と言い続けて生きてきましたから、今後は“母のため”の道を模索するのではないでしょうか」
ちなみに、甲子園出場経験がある彼の弟は来年、慶大に進学予定である。
引用元: ・【野球】「清原正吾」が引退を決めた理由 「好きで野球をしていたのではなく、父親のため」 [冬月記者★]
何をしても清原が付き纏う