2025年05月12日 17:00 J-WAVE NEWS
https://news.j-wave.co.jp/2025/05/content-4123.html槇原敬之が、春の名曲『遠く遠く』を制作した当時の想いなどを語った。
槇原が登場したのは、4月22日(火)放送のJ-WAVE『STEP ONE』(ナビゲーター:サッシャ、ノイハウス萌菜)のコーナー「atre MUSIC+1」。(※中略)
■故郷の両親や友人を想って作った曲 (※中略)
2025年10月にデビュー35周年を迎える槇原の春の名曲といえば、1992年にリリースされた『遠く遠く』だ。
サッシャ:今日は槇原さんとともに『遠く遠く』を掘り下げていきます。3枚目のアルバム『君は僕の宝物』に収録されています。名曲ですが、実は意外なことにシングルカットはされていません。ですがみんなには大切な、心のなかにある曲だと思います。槇原さんにとってはどんな曲でしょうか。
槇原:作った当初は私小説的に作った曲でした。みんなに伝わると思っておらず、どちらかといえば自分の私信をアルバムのなかに勝手に入れさせてもらった、みたいな曲でした。
サッシャ:アルバムナンバーとして自分のやりたいこと、歌いたいことを歌った1曲なんですね。
槇原:はい、そうです。
ノイハウス:この曲は故郷にお住まいのご両親を想いながら書かれた、ということを伺っています。書かれたときにはどんな状況だったのでしょうか。
槇原:実を言うと、僕は音楽の道に進もうと思って東京には出ていたのですが、親は僕が音楽の道に進むのが当時はとても嫌だったんです。電話をかけるたびに、親とすごく喧嘩したりと複雑な日々をずっと送っていました。『どんなときも。』とかも売れたりして「安心してくれるのかな?」と思いきや、それでもずっとそれが続くと。
サッシャ:えー! 売れていてもまだ、認めてくれなかったんですか?
槇原:やっぱり親心というんでしょうか。「『どんなときも。』だけが売れても、そんなの絶対に続かない」と思ったりして、心配していたんだと思います。だから、ずっと「どうやったら安心してもらえるのかな?」と考えていたら「遠く離れているところからでも自分のことがわかるぐらい、自分が頑張ったら安心してくれるのかな」みたいな。そういう気持ちを本当にそのままストレートに書いた曲です。
ノイハウス:ヒット曲を出しながらも認めてもらえない。悩んでいるところで、反抗するのではなく、それでも両親のところに気持ちを届けたいという想いが素敵だなと思います。
槇原:僕は大阪出身なんですが、大阪に残してきた友だちもみんな心配しているので、そういう友だちにも向けてメッセージを暗号のように届けられればいいなと思った感じでしょうか。
■歌詞に込めた決意
『遠く遠く』には、歌詞に桜が登場する。槇原は春という季節への想いを語った。
サッシャ:これは春にお書きになったのでしょうか。
槇原:春ごろに書いたのを覚えています。
サッシャ:春を詞のなかに入れたのはなぜですか?
槇原:(春は)いろいろなことが始まる季節。新しい世界が始まるんですが、ずっと僕は春については華やかさに隠れた不安、みたいなものをずっと感じていたんです。周りにこんなに桜が咲いちゃって、温かくなって希望にあふれている感じだけど、心にひっそりと隠した不安、みたいなものを思わず書きたくなったという。そういう感じだったと思います。
サッシャ:ワクワクとドキドキの季節ですもんね。
曲の後半では「同窓会には参加しない返事を出したが……」といった複雑な感情が描かれている場面がある。
サッシャ:ご両親は「いつ帰ってくるの?」みたいな感じですが、自分は頑張りたい。別に同窓会に行っても1日で帰ってこられると思いますが、欠席に丸を付ける。ここに槇原さんの決意みたいなものを感じます。
槇原:うれしいです。まさにそのとおりで、帰ってしまうとすぐに自分のなかのなにかがふわっと、地元にいたころと同じに戻ってしまうような怖さみたいなものが、どこか心のなかにあったんです。だから、そこはもう会わないで、ずっと頑張れるところは頑張っていく、という気持ちではいました。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
●Tohku Tohku
https://www.youtube.com/watch?v=XIQHcECoDgk
引用元: ・【ラジオ】槇原敬之が名曲『遠く遠く』を振り返る。“同窓会に欠席”に込めた思いとは [湛然★]
春日丘→青学2部
3浪

