2026年4月5日 11時0分
お笑いコンビ・キングコングの西野亮廣が製作総指揮・原作・脚本を務める「映画 えんとつ町のプペル~約束の時計台~」が3月27日から公開された。大ヒットした前作「映画 えんとつ町のプペル」の続編ということで注目されていたが、いざ蓋を開けてみれば、3月27~29日の国内映画ランキング(全国週末興行成績・興行通信社)では5位、興収1億2200万円という結果に。前作から大幅に数字を落としていて、ネット上では“爆死”と言われている。なぜ「プペル」の続編は苦しい状況に陥っているのか。【ラリー遠田/お笑い評論家】
この“爆死”が象徴しているのは、西野亮廣というプロデューサーがこれまで築いてきた成功の方程式が、同じ形では市場に通用しなくなってきているということだ。
(中略)
さらに言えば、西野という人物そのものが、すでに「未知の可能性を秘めた異端児」ではなくなったことも大きい。かつての西野には、芸人なのに絵本を描く、芸人なのにビジネスを語る、テレビ的な文法から逸脱して動く、といった違和感があった。その違和感が賛否を呼び、話題性を生み出していた。
今の西野は、良くも悪くも「西野亮廣というジャンル」として定着している。人々はもはや彼が何をやっても驚かない。驚かないということは、話題になりづらいということだ。純粋にその企画が本当に面白いのか、前より新しいのか、という中身の勝負にさらされている。これはビジネスパーソンとしては成熟して格が上がったとも言えるが、求められる基準が高くなったということでもある。ブランドが確立されると、熱狂的な支持は安定する一方、新規客の流入は減ってしまうからだ。
映画公開前の時期には、告知を兼ねて西野が数多くのバラエティ番組に出演していた。そこでは彼が夢見がちなスキのある発言をするイジられキャラとして扱われることが多く、ほかの芸人からさまざまな切り口でイジり倒されていた。
これはこれで芸人のパフォーマンスとしては文句なしに面白かったのだが、それが視聴者にとって彼の映画を見る動機づけになっていたのかというと、その点にはやや疑問が残る。
西野の芸人としてのキャラクターは、彼の作品の内容とはほとんど重なっていない。彼が芸人としてあまりに優秀すぎるために、バラエティで見せるパフォーマンスが、映画の世界観を逸脱してしまっている。テレビで彼を見て「西野は面白いなあ」と感じた人はたくさんいるかもしれないが、その中で映画を見たいと思った人は果たしてどれだけいたのだろうか。
今回の続編の苦戦が示しているのは、西野亮廣の終わりではない。むしろ、彼がクリエイターとして次の局面に入ったということを示している。挑戦者としての段階はすでに終わっていて、実績あるブランドとしての価値が問われている。
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引用元: ・「プペル」続編が爆死のワケ…テレビで彼を見て『西野は面白い』と感じた人はいるかもしれないが、映画を見たいと思った人はいるだろうか [muffin★]
価値は無い
一瞬の気の迷いだったことに気づいたのだろう
西野はだわ
映画いい感じだなぁからの西野なら別にいいかて流れ
でも西野に1円も使わないけどなw
芸人としてはもはや単独では成立しないし
クリエイターとしてはすごいけどそれが幅広い層に受け入れられるかどうかは別

