2026.04.03 16:00
2024年8月末にフジテレビを退社した元アナウンサーの渡邊渚さん(28)。2020年の入社後、多くの人気番組を担当したが、2023年7月に体調不良を理由に休業を発表。退社後に、SNSでPTSD(心的外傷後ストレス障害)であったことを公表した。約1年の闘病期間を経て、再び前に踏み出し、NEWSポストセブンのエッセイ連載『ひたむきに咲く』も好評だ。そんな渡邊さんが、「好きな食べ物を聞かれた時の対応に込められた気持ち」について綴ります。
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私は、「好きな食べ物はなに?」と聞かれることが苦手だ。その質問の裏に何が隠れているのか、その先の展開を考えすぎてしまうからだ。色んな食べ物の選択肢が頭に浮かぶが、そこに自分がいない。
例えば、母からその質問をされたら、「母の作るメンチカツ」と答える。嘘ではない。揚げたてのサクサク感と溢れ出す肉汁、いわゆる“お袋の味”で、確かに好きだ。だが、その答えは、手のかかる料理を作ってくれたというありがたさと、そう言えば母がどんな顔をするかを重視した結果、口に出した食べ物でもある。
母の作ったメンチカツと答えたら、喜んでくれるだろうし感謝が伝わるのではないか、という打算があらかじめ織り込まれている。
知り合いに「好きな食べ物は?」と聞かれたときは、また別の思考が巡る。これは単なる質問ではなく、このあと「じゃあ今度行こうよ」と続くかもしれない。何と答えるかで性格や育ちを見積もられている可能性もある。
はたまた場を和ませるためだけに聞いたのかもしれない。質問の意図とそれぞれの場合の解答案が、頭に無数に浮かんでくる。そして、相手と状況に合わせて、自分が今求められているであろう最適解を言う。
単なる「好きな食べ物は?」という質問に、私はかなりのパワーを消耗する。そして、これでよかったのかとモヤモヤし続ける。ここに本当の私は存在しない。
求められるものがなくなると、自分の存在は簡単に揺らぐ
番組の収録でもそうだ。今は撮れ高を求められてると思ったら、わかりやすく感情を見せるような場面を作る。違う角度からの意見を求められていると思ったら、その場にいる人間の中で私にしか気付けない、言えないことを言う。
本心かどうかはあまり関係ない。私がすべきことは、求められることに100%以上応じることだ。振り返ってみると、私の人生は、その行動指針によって選択されてきた気がする。
どんな人生を歩むのか。どんな学校に進学するのか。どんな仕事を選ぶのか。どんな自分になりたいのか。
その一つ一つにおいて、私は「自分がどうしたいか」「私はこれが好き」というよりも先に、「どうすれば人生がうまくいくか」「どうしたら期待に応えられるか」を考えてきた。それも間違いではないと思う。少なくとも、それによって守られてきたものや成し遂げられたこともある。
ただ裏を返せば、求められるものがなくなったとき、自分の存在は簡単に揺らぐ。私はそれが怖くてたまらない。求められることに応える日々を積み重ねたら、本当の私が少しずつ薄れた。その結果、私は「好きな食べ物はなに?」という問いにすら素直に答えられない人間になってしまった。
他者の評価に左右されず、「これが好き」と言える人は強い
「自分の好き」を知っている人が、私は心底羨ましい。今の私は、まだ自分の好きなものがよくわからない。元々そんな感じの人間だったのに、PTSDになってから拍車がかかった気がする。
どんなに美味しいものを食べても、どんなにいい景色を見ても、どんなに友人と共に楽しい時間を過ごしても、それはほんの一瞬の鎮痛剤にしかならない。
PTSDになる前、唯一自信を持って好きだといえたボトルシップ作りも、今となっては、現実を忘れるためにやっていることの一つでもある。何をしてもそこまで楽しいと思えていないし、自分が心踊るものがわからない。
他者の評価に左右されず、“私の好きはこれ”と言える人は、とても強いと思う。それさえあれば、自分は自分でいられるだろう。私はこれからも「好きな食べ物はなに?」と聞かれるたび、求められている答えを選ぶのだろう。それでも、いつかその問いに、誰のためでもなく答えられる日が来ることを、淡く期待している。
(略)
※全文はソースで
https://www.news-postseven.com/archives/20260403_2101615.html
引用元: ・渡邊渚 ひたむきに咲く 【「好きな食べ物はなに?」と聞かれることが苦手だ】渡邊渚さんが綴る「自分の好き」を知る人の強さについて [少考さん★]
あっそ!!
はっきり嫌い、ダメだと言わなければ…

