森保一監督 ドーハの悲劇を回顧 頭上をクロスが…「スローモーションのように飛んでいく」
サッカー日本代表の森保一監督(57)が、9日放送の日本テレビ系「ザ!覚悟を決めた瞬間 SAMURAI BLUE 悲願のW杯優勝なるか」(後9・00)にVTR出演し、ドーハの悲劇を回顧した。
日本サッカー史上初めて、2大会連続でW杯で指揮を執る森保監督。番組では、その半生を本人や家族、関係者による証言VTRで紹介した。
高校時代の森保監督を見いだし、当時マツダ(後の広島)のコーチを務めていたハンス・オフト氏が、後に日本代表監督に就任。森保監督は、いきなり代表招集を受けた。
所属チームから知らせを受けたが、雲をつかむような話に、「冗談は分かりましたって」と返答したという。しかし、知らせは本当だった。
92年5月、浜松での代表合宿に参加。そこには、カズ、ラモス瑠偉、井原正巳、柱谷哲二、中山雅史らスター選手たちがズラリ集結していた。
森保監督は自伝本で「オフト監督が、若い僕に経験を積ませるために呼んでくれたのだろうと思うことにした」とつづっている。しかし、森保監督は先発に大抜擢。アルゼンチン戦で代表デビューを果たした。
93年にはJリーグが開幕。94年W杯米国大会を目指したアジア最終予選も始まった。しかし、1分け1敗の苦しいスタート。残り3試合を全勝するしか、道はなかった。
それでも、2連勝して首の皮一枚つながったオフト・ジャパン。最後のイラク戦に勝てば、初のW杯が決まる場面だった。試合会場はカタール・ドーハ。2―1とリードして迎えた後半アディショナルタイムに、悪夢は訪れた。
相手の右ショートコーナーからクロスを挙げられると、ゴール前の密集からヘディングで合わされ、ゴール左隅へ。日本の夢を絶つゴールが決まった。
悲劇の瞬間、森保監督もピッチ上にいた。クロスに対し、目いっぱいジャンプしてクリアを試みたが、ボールは無情にも頭上を越えていった。
「最後、コーナーキックから、自分がボールにアプローチしにいって、ディフェンスできず、自分の頭の上をボールがスローモーションのように飛んでいく。最後、失点するところは本当によく覚えている」。脳裏の深くに刻まれた、ショッキングな記憶だ。
「全てを懸けていると思って臨んだ。残り数十秒で、我々がアメリカのW杯に行けるというところで、手のひらから夢がすり抜けていった。その悲しさは凄くありましたね」と無念さを口にした。
98年フランス大会で、日本は初めてW杯に出場。しかし、森保は既に代表からは遠ざかっていた。「W杯に出たいという気持ちは、もちろん当時も持っていましたけど、力が足りなかった自分がいたので、そこの戦いに入れなかったのは悔しかったですね」と、率直な思いを明かした。
引用元: ・【サッカー】森保監督 ドーハの悲劇を回顧… 頭上をクロスが「スローモーションのように」「残り数十秒で、夢がすり抜けていった」 [冬月記者★]
電通枠 長友(花王アタックゼロ枠)、遠藤(日本財団枠)、上田(みずほ銀行枠)田中碧、南野(ケガで落選、メンターとして帯同)、三笘(ケガで落選)
アディダス10番枠 堂安(indeed枠)
イケメン枠 谷口
今の子どもに嫌がられるかなー
最近は予選がぬるすぎて見る気しない
いや、良いことではあるのだが


