■魏志倭人伝に記された倭国の位置
邪馬台国や卑弥呼を巡る論争の手掛かりとされる「魏志倭人伝」。東洋史専門の渡邉義浩教授は、魏志倭人伝が「三国志」の一部であり、そこに書かれた倭国の位置は実際とは大きく異なると指摘します。
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魏と卑弥呼の邪馬台国は、実に密接なつながりを見せています。特別扱いといえるほどで、魏の皇帝・曹芳は、卑弥呼に称号を与えたと記録されています。
「詔書を下して倭の女王に報じて曰く『親魏倭王の卑弥呼に制詔す。我、甚だ汝を哀(いつく)しむ、今、汝をもって親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し、』」
親魏倭王。つまり「王」という身分、そしてその称号が刻まれた金印まで贈ったと記録に残っているのです。
「親魏倭王という言葉も聞きますけども」(佐々木アナ)
「親魏、魏に親しむと書くわけなんですけど、その皇帝というものに次ぐのは王なんですね。異民族にあげる王というのは国内の王よりも一歩下がるわけではありますが、その王という称号をもらっている」(渡邉教授)
当時の中国の身分は上から皇帝、王、公、侯、伯、子、男と続きます。卑弥呼は上から2番目の好待遇だったことになります。
「例えば、日本よりも文化レベルが高かったであろう朝鮮半島の韓族たちがもらっているのは、王とか全然もらっていない、もっと低い称号をもらっているわけで」(渡邉教授)
他にも密接さが分かるエピソードがあります。卑弥呼が戦争で苦しんでいる際、魏からは人材や物資も多く贈られていたというのです。位置を偽り、大きさを偽り、さらに倭国の存続を切に願ったのは、再び「呉」のようなライバルが生まれないようにするためだったと推測できます。
■鍵は「刺史」
朝鮮半島の帯方郡から狗邪韓国を通り、現在の長崎県対馬まで8000里余り。対馬から壱岐までが1000里ほどで、帯方郡から邪馬台国までは1万2000里。魏志倭人伝には距離だけでなく日数まで記録されています。
これをもとに邪馬台国の位置を探る研究が行われてきましたが、方角や距離が実際に合わないため、九州説と畿内説で100年以上、論争が繰り広げられてきました。
これまで見てきた通り、魏志倭人伝も後を継いだ地図でも、日本の位置や方角まで正しいといえるものではありません。しかし、邪馬台国は畿内にあったという説が有力であることは、ある一つのワードを見るだけで分かると渡邉さんはいいます。
「なんで畿内説をとるのかというと、邪馬台国に至るいろんな所で九州大学のキャンパスがある伊都という場所で、伊都国というのがあります。伊都国には代々王様がいたんだと記録が出ていて、重要な拠点なんですね。そこに卑弥呼は大率(だいそつ)という役人の派遣をしているということが書いてあるんです」(渡邉教授)
「国中において、『刺史(しし)』の如くあり」
刺史とは、道や府、県の警察のような存在です。魏志倭人伝は、大率を中国における「地方警察」のような役割だとして記しています。当時の中国には州が13あり、12州は地方の役人である刺史が監察・統治していました。一方、首都圏では違う役職だったといいます。
「12個だけで真ん中の司隷という州があるんですけれども、そこだけは(刺史ではなく)司隷校尉(しれいこうい)というものが置かれるんです。つまり、東京も警視庁ですよね。他は警察(道府県警)ですよね。だから、首都圏というものは特別なものが置かれるんです。で、伊都国には何が置かれているのかというと、置かれている大率は刺史のようだと中国人が見たんです」(渡邉教授)
地方には「刺史」が、首都圏には「司隷校尉」が置かれる。現代の日本でも地方に道府県警察、首都・東京に警視庁が置かれるのと同じようにみえます。
「ということは、そこは首都圏ではないわけです。ということで、その一言だけですが、僕は。その一言だけで、その伊都国っていうものの周辺には300万人ぐらい住んでいるような、そういう広さのところには首都圏はないと、この文章からは分かります。ということになると、他の考古学的な調査を見ると、畿内以外はあり得ないなと私は考えるということです」(渡邉教授)
「なるほど、確実に今の段階では私の中では畿内説ですね」(佐々木アナ)
7/19(日) 17:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e13a6c7c1d54661bae9a67175adf4ebe8c36871c

引用元: ・【歴史】邪馬台国は畿内? 海の上に描かれた倭国の謎…中国の歴史書「魏志倭人伝」から探る [樽悶★]
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