「出所したのは、2026年の2月25日です。(刑務所の)中にいるときは、もうずっと『出たい、出たい』ってことばかり考えちゃうから、一日がすごく長く感じるんですよ。出所してからは、一日一日の時間の流れが、5倍も6倍も早いですね」
そう語るのは、元KAT-TUNの田中聖(40)。2000年代に、ジャニーズ事務所(当時)のトップアイドルの一人として、多くのファンを熱狂させた男だ
そんな彼は、2013年に所属事務所から専属契約を解除されるとフリーに転身。ロックバンド「INKT(インク)」を経て、ラッパーとしてアーティスト活動を続けてきた。しかしその一方で、薬物使用による3度の逮捕歴がある。2023年12月には、覚せい剤の使用と所持で懲役2年8カ月の実刑判決が確定し、“獄中の人”となってしまった。
9月23日で刑期満了を迎えた田中が、今回、出所後初の独占インタビューに応じた。指定された場所は、都内にある公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」の事務所の一室だった。
「入っていたのは、長野刑務所の独居房でした。中にいたのは2年と10日。刑期が15年や30年だったり、無期懲役の人もいっぱいいるんで。それと比べると俺のは、いわゆる『しょんべん刑』ですからね。もちろん、自分としては長かったですけど」
38歳のときに収監され、40歳の誕生日は獄中で迎えた。
「どんな気持ちだったかって? そりゃ、嫌でしたよ(苦笑)。でも、ヘんな話、中にいた2年間は、人生で初めてカレンダーどおりに生きたかもしれません。これまで土日がちゃんと休日で、祝日がちゃんと祝日って生活をしたことがなかったんで」
独居房で迎える誕生日は、さぞ孤独なものだったろうが、よかった面もあったという。
「俺が『田中聖』であることは、中ではみんな知っていました。だからこそ、雑居房だったら、それはそれで大変だったと思います。刑務所の中は、人間関係がいちばん難しいって言われるんです。やっぱり、へんなことで揉めたりするんですよ。
その点、独居は暇な時間や孤独との戦いです。それでも、言い方は悪いかもしれませんが、まだ気楽には過ごせていたかなと思います。歌うことはできないので、代わりに歌詞をノートに何ページも書いたりしていました」
中にいたときに、楽しみにしていたことのひとつが、食事だった。
「豚の利休焼きはおいしかったですね。ただ、外の基準で言うと、食えることは食えるけどってくらい(苦笑)。俺、今よりたぶん体重が8kgぐらい落ちた状態で出所しましたからね」
■刑務所ではミシン作業を担当、「班長になりました」
田中の収監中、全国の刑務所で受刑者を「さん付け」で呼ぶ運用が始まった。田中も刑務官から「田中さん」と呼ばれていたという。
「俺は、それ必要なのかなと思っていましたね。それをしたからなんだっていう話だし、人権や差別に配慮して『さん付け』で呼ばなきゃいけないとか、“臭いものに蓋”というか、あんまり根本の解決になっていないと思うんですよ。あるときから受刑者の『行進』もなくなったんですけど、そうなってくると、もともと行進をしていた意味もよくわからないですよね」
刑務所のあり方に疑問を抱きながらも、自身は与えられた作業を淡々とこなした。
「俺が担当していたのは、ミシン作業でした。最初の数カ月は業務用ミシンでエプロンを縫って、班を移動してからは車関係の縫い物が多かったですね。班を移動して1カ月ぐらいで副班長になって、その1カ月後には班長になりました。刑務態度なんかを見て、『こいつできるな』と思われたんでしょうね」
つまり、田中は模範囚だったのだ。
「やっぱりそこ(刑務所)まで行って、意地を張るほうがカッコ悪いですから。懲役くらったことは自業自得だし、“耐える”ことが罰なんで、何があっても耐えて、しっかり償って出てこようっていうのを目標にしてました
そうして迎えた出所日。740日ぶりに塀の外に出た田中を迎えに来ていたのは、父と母だった。
(略)
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