もちろん個人差はありますが、一般論として、子供嫌いが指摘される日本人とは対照的に、子供好きだといわれるのがアメリカ人です。今回は、アメリカとの比較を踏まえて、「日本人は子供が嫌い」という仮説と少子化対策のあり方について考えてみましょう。
■アメリカ人は子供が好き、日本人は嫌い
筆者の近所にあるイタリア料理店の入り口に、「おや?」と目を疑う表示があります。
「ペット同伴可のお店。ペットとご一緒にどうぞ」
「小学生以下のお子様の入店はご遠慮願います」
店主の意図はわかりませんが、ともあれ「子供よりもペット」という昨今の風潮を象徴しています。この店だけでなく、日本ではちょっとした高級店だと「子供連れ禁止」が当たり前です。
アメリカでも、ニューヨークの金融街などでは、子連れ客に対し迷惑料を取る店があるようです。ただ、「子供連れ禁止」という店はまれで、たいてい子供を歓迎します。高級レストランでも、幼児用のハイチェアが用意されていて、家族連れが楽しく食事しています。
日本では、公園で遊んでいる子供によその大人がやさしく声を掛けるということは滅多にありません。むしろ、昨年長野市内の公園が近隣住民の「子供がうるさい」という苦情を受けて閉鎖されたように、子供は平穏な生活を脅かす邪魔者です。
アメリカでは、通りがかりのおじさん・おばさんが子供を見つけると、「adorable! (可愛い)」とか言いながら寄ってきて、子供の頭を撫でたり、抱き上げたりします。見ている日本人の筆者は、トラブルにならないかとハラハラします。
■子供は小さな大人か、別の生き物か?
OECDの2021年統計によると、1970年に生まれた女性の50歳時点の生涯無子率は、日本が27%で先進国で最高値、アメリカは11.7%で最低値です。
子育てにお金がかかることや子供がうるさいことは、日本でもアメリカでも同じはず。にもかかわらず、両国でこういう大きな違いが生まれているのはなぜでしょうか。
筆者は以前、ボストン大学のグレッグ・シンガー教授から興味深い仮説を聞きました。日本の大学でも教鞭を執った経験がある知日派のシンガー教授によると、「アメリカでは子供は小さな大人、日本では大人と子供は別の生き物」だそうです。
シンガー教授が例示したのは、クリスマス・お正月の過ごし方です。「アメリカではクリスマスの夜、家族が1つの部屋に集まって過ごす。日本では、お正月に親族が本家に集まって、大人たちと子供たちで別の部屋に分かれて食事をする。高校生ぐらいになって大人部屋への参加を許されると、自分は大人の仲間入りをしたのだと実感する」。
アメリカには「成人」という明確な概念はありません。子供は本質的には大人と同じ生き物で、成長して連続的に大人になります。日本では、子供は「別の生き物」として生まれ、育ち、大人部屋への参加を認められ、昔は元服・今は成人式を迎えて「人間に成る(=成人)」わけです。
日本人に限らず、人は自分と同じ相手を好きになり、違う相手を嫌います。恋愛では、自分と価値観・嗜好が同じ相手を好きになり、「ちょっと違うなぁ」という相手を嫌います。古来、民族紛争が絶えないのも、自分と違う民族を嫌うからでしょう。理屈がどうこうではなく、人間の自然な感情です。
この自然な感情は、大人と子供の関係にも当てはまります。アメリカの大人は、自分と本質的に同じ子供のことが好きです。日本の大人は、「別の生き物」である子供を嫌います。これが、シンガー教授が主張する「日本人は子供が嫌い」な理由です。
■家父長制が関係か
日本人の「大人と子供は別の生き物」という考え方は、どのように形成されたのでしょうか。伝統的に日本社会の特徴になっている家父長制が、関係しているのかもしれません(ここからは筆者の分析です)。
家父長制とは、一家の長である家長が、他の家族の人たちに対して絶対的な支配権をもつ家族制度です。家長は成人男性で、「一家の大黒柱」として弱者である女性・子供を養い、家を守ります。女性・子供は家長に隷属します。
※以下出典先で
東洋経済オンライン
2023/05/11 8:00
https://toyokeizai.net/articles/-/671188
引用元: ・【社会】「子供嫌い」の日本、アメリカと価値観が違う背景 [七波羅探題★]
子供が嫌いなのではない。知能の低い親と、その親の影響を受けながら育った生物が嫌いなだけだ。
石女
種無し
阿呆な大人が増えただけで日本人≒子供嫌いではないし。
嫌いと言うならその子の親が馬鹿であるケース。
それはありそうだ
多分合ってる
子供は子供嫌いじゃないぞ
わかる