最期は家人に「ありがとう」と一言感謝の言葉を伝え、静かに目を閉じた。「まさに眠るように天に召されました」(関係者)。都内で営まれた告別式では、本人が好きだった黄色いバラで祭壇を飾り、棺には応援してくれたファンの手紙を納めたという。
美輪さんは1935年5月15日、長崎県長崎市で生まれた。実家は市内の遊郭の近くでカフェなどを経営していた。51年、上京し、国立音楽大学付属高校(東京都国立市)に入学(のちに中退)。52年、東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」でプロ歌手としてデビューした。
57年、フランス語のシャンソン曲「メケ・メケ」を自ら和訳してカバー。「丸山明宏」の名でレコードデビューを果たし、曲はその圧倒的な歌声、♪メケ メケ バカヤロー 情なしのケチンボ…などという独創的な歌詞でヒットした。
65年、実在の親子の話を基に作詞・作曲した「ヨイトマケの唄」を発売。6分近くに及ぶ大作で、♪今も聞こえる ヨイトマケの唄 今も聞こえる あの子守唄…と、弱い立場の人々への敬意や母親への感謝の思いを切々と歌い、大きな反響を呼んで、のちに代表作と言われるようになった。
NHK紅白歌合戦には計4回出場。2012年に「ヨイトマケの唄」、13年に「ふるさとの空の下で」、14年に「愛の賛歌」、15年に「ヨイトマケの唄」を歌った。
俳優としても活躍。67年、歌人の寺山修司さんが主宰する劇団「天井桟敷」旗揚げ公演に参加し、その後も舞台「毛皮のマリー」「黒蜥蜴」などに主演。97年、舞台「双頭の鷲」の再演で読売演劇大賞優秀賞を受賞した。
宮崎駿監督のアニメ映画「ハウルの動く城」(2004年公開)の荒地の魔女役や、NHK連続テレビ小説「花子とアン」(14年)のナレーションなどでも話題を呼んだ。
2005年から09年までテレビ朝日のトーク番組「国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉」に出演し、スピリチュアルブームの火つけ役を担った。
新聞や雑誌で多くの連載を持ち、スポニチ本紙でもコラム「明るい明日を」(2008年~11年、第18回スポニチ文化芸術大賞グランプリ受賞)などを長年にわたって連載した。
20年から25年までNHK・Eテレ「美輪明宏 愛のモヤモヤ相談室」に出演。豊かな人生経験を基に一般の人々の悩みに答えていた。25年5月30日の放送では、司会の高瀬耕造アナウンサーから90歳の誕生日を祝われ、うれしそうに笑みを浮かべる場面もあった。
多くの人を愛し、多くの人に愛された人生だった。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2026/06/28/kiji/20260628s00041000118000c.html
引用元: ・【訃報】美輪明宏さん死去 91歳 老衰のため 歌手、俳優として長年活躍 [ニーニーφ★]
凄いな

