デビュー以来半世紀近く、舞台の第一線で活躍してきた大竹しのぶさん。役柄を通じて壮絶な恋愛を何度も“経験”するとともに、プライベートでも“恋多き女”と称される。『文藝春秋』7月号(6月9日発売)特集「100年の恋の物語」にて、これまでの人生を彩ってきた恋について赤裸々に明かしている。
25歳でTBSドラマディレクターと結婚
『ヴィクトリア』 操上和美撮影
6月24日に開幕する、大竹さん主演の一人芝居『ヴィクトリア』(藤田俊太郎演出 6月30日まで東京・スパイラルホール 7月に西宮、京都、豊橋で公演)。映画界の巨匠・イングマール・ベルイマンが遺した異色の作品で、ひとりの女性・ヴィクトリアの悲劇的な半生が、彼女のひとり語りによって展開されていく。
〈ヴィクトリアが不倫に走る夫を問い詰める場面があるのですが、知らない方が幸せなこともあると今なら分かる。でも、20代の頃は「愛する二人の間には、嘘も秘密もあってはならない」と思いこんでいたんです。だから、25歳でTBSドラマディレクターの服部晴治さんと最初の結婚をした時は、彼のすべてが気になって仕方なかったですね。彼が仕事で他の女優さんと食事に行った時には、「ねえねえ、どういう席順で座ったの?」と図まで描いてもらって。「ここが僕で、隣が(浅田)美代子で……」と彼が説明すると「“美代子”なんて呼ばないで!」なんてヤキモチ焼いて。晴治さんは17も年上で3度目の結婚だったから、「ハイハイ」と笑って終わりだったけれど、本当に若かったですね。可愛かったな(笑)。〉
服部さんとの間には長男を授かったが、1987年に死別。それから14年後の2001年――。服部さんが生前、つくば市で開催された「科学万博つくば’85」の企画で、21世紀に向けて書いたハガキが届いたという。
〈《もし健康だったら、この年に僕たちは一緒に気ままな世界旅行をしませんか? 余計なことは何も考えず、ゆったりとした旅を。そして、どこか知らない土地で『まだ愛してる?』『いるよ』なーんて、言ってみたりしてね。》と綴られていた。読んだ瞬間、温かな涙が零れ落ち、晴治さんとの思い出は時を経ても色褪せないのだと実感しました。息子を間に挟み、内容が見えないようにハガキを隠しあったこと、未来の晴治さんを思い浮かべながら書いたこと――。あの穏やかな時間や自分の気持ちが今もはっきりと思い出せるんです。〉
「きっと私は二人の才能に恋していた」
1988年、ドラマ『男女7人夏物語』(TBS系)の共演で知り合った明石家さんまさんと結婚、長女のIMALUさんが誕生した。さんまさんと離婚後には劇作家の野田秀樹さんと数年間同居生活を送った。
〈実は、さんまさんの時も「大竹しのぶと結婚してから、さんまはつまらなくなった」などという世間の声は私の耳にも届いていました。悩んでいた時に、知人から「さんまさんも野田さんも、ギザギザの金平糖だったのが、しのぶと一緒になって角が取れて、甘いだけになっちゃったのね」と言われて、ああそういうことか、と。一緒にいることで相手の仕事に影響が出ているなら、それは私の望むことじゃない。きっと私は二人の才能に恋していたんでしょう。良き家庭人として甘いだけの金平糖になるのではなく、ギザギザのままでいてほしかったからこそ、別れを選んできたのだと思います。
その後も、さんまさんとは子供の父、野田さんとは仕事仲間としての付き合いが続いています。一緒にいた時よりも別れた後の方が、よりよい関係に生まれ変わったような気がしているんですよ。〉
6月9日発売の「文藝春秋」2023年7月号と、「 文藝春秋 電子版 」(6月8日公開)では、服部さんとの大恋愛、さんまさんとの結婚生活に加え、野田秀樹さんとの恋愛についても明かしている。
「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年7月号
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/ee959d094b75bd3d0b03a232fe62d7f5c56c944e&preview=auto
引用元: ・【文春】大竹しのぶ恋愛遍歴を告白 さんま、野田秀樹…「私は才能に恋していた」 [愛の戦士★]
正直この人の恋愛脳的な生き方はあまり好きじゃない
女はこんな女の生き方は好きだろうけどな
いや、女のほうが嫌いだと思うよ
もっと魅力的な美女ならともかく
男性にはたまらないんだろうが女性からは共感されない典型かと
まったくわからない不思議な人だな
ちっとも美人ではないし
全然可愛くもない
勘三郎のドキュメンタリーに普通に出てきて驚いた
なんて極端な遍歴か
魔性系なんだから
黙ってりゃいいのに