さよなら中野サンプラザ 時代とともに生きるビル
2023年6月20日 13時05分
2023年7月2日、昭和の名建築がまた1つ、役目を終えます。半世紀にわたって愛されてきましたが、駅前の再開発に伴い、建て替えられます。ビルのカタチに秘められた、意外な歴史を知っていますか?街が生まれ変わる中で、建て替えられるビルがある一方、かつての姿をとどめながら進化を続けるビルもあります。変わりゆくビルの姿から、時代の変化を見つめます。(「すこぶるアガるビル」取材班 井川陽子、鏡味瑞代)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230620/K10014103331_2306191338_0619152457_01_03.jpg
(中略)
中野サンプラザのもともとの名称は「全国勤労青少年会館」といいます。公募で決まった愛称がサンプラザでした。建設計画が持ち上がったのは、1967年。地方から集団就職で上京する若者がまだ多かった時代です。当時は、不慣れな環境で働き、孤独に陥ったり、職を離れたりする人も多くいました。そのため当時の労働省が、彼らの心のよりどころとなる勤労者福祉施設としてビルを建設したのです。
若者の人生に寄り添う施設として現存するものが、6階にあるチャペルです。ビルが、勤労青少年の結婚までをトータルプロデュースしました。当時はこうした施設は、それぞれ別の建物として建てるのが当たり前でした。それをひとつのピラミッドにまとめたのが、若者たちのためのシンボリックな施設をつくりたいという、建築家・林昌二さんのこだわりでした。林さんとともにビルの構想から完成まで携わった、三浦明彦さんに当時の思いをききました。
元日建設計 理事 設計室長 三浦明彦さん
「若者にとって刺激になるとか、誇りになるとか、そういうことをどう表すか、我々も悩みましたし、林さんも悩んでいた。施設を全部積み重ねて、一つにまとめたら、新しい価値が生まれるんじゃないかということを林さんが言い出して、なるほどと我々も思ってね。普通のビルの形にもできるけれども、若者たちの愛着を得るとか、記憶に残ることも大事だということで、行きついたのがこのピラミッド型でした」
全文
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230620/k10014103331000.html
引用元: ・中野サンプラザ 7月2日に閉館 [788192358]
ちょっと違う
記念に行ってみるかな
しょこたんとか