実家に行くと、いつもうんざりした気分になる。別に両親と話したくないわけじゃない。
このクソでかい堅牢な造りの家。この存在にうんざりしてしまう。
「なあ、この家ってさ、どうするつもり? 俺は住む気はないけど……」
それとなく父親に聞いてみる。答えなんて返ってこないことはわかっている。
「ああ、まあなあ……」
父親はこちらを見もせず、昼からビールを飲んでいる。
もし、両親が介護施設に入ったり、亡くなったりしたら、この家はどうすればいいのか?
実家の建物を見るたびに、そんなことを考えるようになってしまった。
以前はそんなことは考えなかった。両親は元気だったから、彼らはこの家で永遠に住み続けるような気がしていたのだ。
でも、そんなことはあり得ない。人は誰しも老いて、いずれ死にゆく存在だ。永遠にその家に住み続けるなんてできるわけがない。
でも、若い頃はそこまで考えない。自分を取り巻く環境は、そんなに変わらないという強いバイアスに支配されてしまっている。
都合の悪いことは考えない。そんな姿勢が確かにあった。
●田舎の中古住居なんて、ほぼ価値がない
自分も年をとり、親も見るからに衰えていくと、来るべき未来がクリアカットに見えてくる。
「親の後始末」が徐々に実体を帯びてくる。それは不可避で不都合な宿題として近づいてくる。
最悪、モノは捨てればいい。しかし、家や土地などの不動産はどうしたらいいのか?
家や土地は、基本的に所有権を放棄することができない。「もういりません」と放置することができない。だから
売却して所有権が移るまで、管理しなければならない。
父親は完全にノープランだ。当然に僕が相続してなんとかすると考えているのだろう。
それどころか「価値ある財産として残してやった」と思っているのかもしれない。
こんな田舎の中古住居など、価値なんてほとんどないというのに。
続きは日刊SPA! 2023年06月28日
https://nikkan-spa.jp/1922502
引用元: ・【相続】「放置すると近所の目が怖い」誰も欲しがらない田舎の“負”動産という呪い [おっさん友の会★]
金のために土地所有はありうるけど
現代は金所有の方が大切
徒歩移動で最低でも30分以内にある場所が望ましい
半自給自足しながら季節の移ろいと共に過ごしたい
という願望はあるけど実際は大変そうよね
跡取りいないと先祖代々の土地が国庫に入るとか言われて
叔父夫婦は死に養子入ってアパートと土地収入で食ってるけど放置してる無駄な土地も多い