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山上徹也容疑者はどんな意図で犯行に至ったのか。社会学者の土井隆義・筑波大学教授は二つの見方をしている。
一つは、たとえばベトナム戦争で僧侶が南ベトナム政府に抗議し、焼身自殺をしたような「抗議死」だ。容疑者は自殺こそしていないが、犯行後に逃げようともしていない。政治テロのように未来を見据えた「主張」はなく、「過去についての抗議」だけがそこにある。ただ、犯行前に手紙を投函したのは、そんな自分の予兆に「気づいてほしい」という気持ちもあったから。気づいてくれたら自分の暴走を止められる──そんな思いもあったのでは、と土井教授は見る。
「しかし、その手紙に『安倍は本来の敵ではないのです。あくまでも現実世界で最も影響力のある統一教会シンパの一人に過ぎません。安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は私にはありません』とあるのを読むと、違う見立ても可能だと思います。『未来を見据えて』統一教会を潰してやろうという思い。その手段としては、影響力の大きい安倍元首相を狙ったほうがいいという冷徹な計算。そんな行動だとしたら、彼なりの合理的判断であり、『テロ的なメンタリティー』だったとも言えます」
いずれにしても、何が彼をそうさせたのか。容疑者はうまく人との関係を紡げない「関係の貧困」を抱えていたのでは、と土井教授は指摘する。
「約1年も自宅で一人ひそかに武器を製造し、教団やその存在を許した社会への敵がい心を募らせていった。人間関係がきちんとあれば、『自分だけの世界』が相対化できるけれども、関係が貧困なためにブレーキもきかず、暴走してしまう。今回の事件は経済的な貧困ももちろん重要な要因ですが、自己責任主義が進むことで社会の分断化が進み、『関係格差』(人間関係が豊かな人とそうでない人の差)が生じているため、いったん躓いたらなかなか這い上がれないという社会状況が広がっていることも背景にあると思います」
土井教授は、容疑者のものとされるツイッターに書かれた「何故かこの社会は最も愛される必要のある脱落者は最も愛されないようにできている」という言葉にも、強い印象を受けたという。
「私は、ある種の諦観(ていかん)ととらえました。現実を『変えていけるかもしれない』という希望が少なからず持てた時代から、いまはその希望がなかなか持てない時代になっている。加えて、政治家を筆頭に異論を封じ、封じられ、互いを認めづらい社会になっている。異論を封じる側も封じられる側も、自分に自信がなく、不安と共に生きざるをえない。そのため、異論の持ち主を認めるだけの心の余裕がないのです。そこに広がる諦観を、よく表した言葉だと思います」
引用元: ・山上徹也容疑者「何故かこの社会は最も愛される必要のある脱落者は最も愛されないようにできている」背景に“自己責任主義”社会か [Stargazer★]
わざわざフォークリフトの派遣なんてやらなくてもいいだろ
手を差し伸べてばかりいるとそいつは自力で立とうとしなくなる
壺カルト自民党は結局
日本の平和より泥沼化を望んでるんだろうな
よかったとおもうが。
まぁ壺からは嫌われてるだろうけどw