https://news.yahoo.co.jp/articles/558972d7082ea77c9a29cbf8ab223fd31e7b7b38
昭和19年、瀬戸内海の伊予灘で潜航訓練中、事故で沈没した伊号第33潜水艦。事故後、引き揚げられ、曳航(えいこう)された松山市の興居島(ごごしま)では、事故から79年たつ今も、乗組員の死者102人を追想する慰霊祭が地元の人たちによって続けられている。「歳月とともに忘れられようとしているが、後世に伝えたい」。今年も約40人が慰霊碑前に集まり、記憶を風化させないよう語り継いでゆくことを誓い合った。
【写真】引き揚げられ遺体が荼毘にふされたときの様子を伝える写真
■102人の犠牲
事故が起きたのは19年6月13日だった。急速潜航訓練を行っていた伊号第33潜水艦は、吸気筒の弁に木材が挟まっていたことを見落としたため、艦内に海水が流れ込み約63メートルの海底に沈没した。最後の手段としてハッチを開き脱出した者のうち、生き残ったのはわずか2人だけ。102人が無念の死を遂げた。
昭和28年に引き揚げられ、曳航されたのが興居島の御手洗海岸だった。浸水を免れた魚雷発射管室にいた13人は、海底の低温のためまるで生きているかのような姿だったという。海岸で遺体は荼毘(だび)にふされた。
伊号第33潜水艦は昭和16年、三菱重工業神戸造船所で建造され進水。17年に竣工して呉鎮守府籍となった。同年、ソロモン方面へ出撃。しかし、同年9月に1回目の沈没事故を起こしている。日本軍の拠点だった太平洋のトラック諸島での事故だった。サンゴ礁に衝突し修理を受ける際、ハッチが閉まっていないまま海水を取り入れたため浸水。このときは33人が死亡したとされる。沈没地点の水深が33メートルで、「33」は不吉な数字として海軍内で噂されたと伝わる。
伊予灘での沈没は2度目だった。昭和18年に引き揚げられ、呉海軍工廠(広島県呉市)へ運ばれ、修理を終えたばかりの出来事だった。
引用元: ・日本のタイタン号こと伊33潜水艦。2回も沈没 [866556825]
単なる事故や整備不良の話、「記憶を風化させない」必要はあるか?
現代の最新鋭装備の軍隊や自衛隊においてもまれによくあることだし
いちいち覚えてらんないうえにミスった整備士とか永久に名前が残ってかわいそうだわ
極々限られた空間だろうに飯とか便所とかはどうしてたんだろ