すでにグラブ(GRAB)や、エア・アジア・ライドが普及しているマレーシアに5年間、住んだ。そこで「日本の方が利便性で劣る」と感じるのが、このライドシェアである。車を買わないまま使い続けてきて、いま日常生活でなくてならない存在になっている。
扱い方は簡単。スマートフォンのアプリでGPSによる現在地から目的地を設定すると、まず値段が表示される。日本のタクシーと違い、利用前に価格が分かる時点でタクシーより優れており、高いと感じたら電車やバスを使う。この価格設定は、距離のみならず、天候や渋滞などでも変化する。
依頼すると、周辺で引き受けてくれるドライバーを探索、成立したドライバーの名前や顔写真、車種と色、ナンバーが表示され、目的地までのナビ地図と一緒に、おおよその待機時間も出る。あとは車が現場に来て乗るだけ。
アプリにクレジットカードなど電子決済を登録していれば、現金の受け渡しの必要はない。目的地で降りると、ドライバーを五つ星で評価でき、グラブの場合は、「清潔感」や「運転手の人間性」、「音楽」など、いくつか特筆して良かった点も追加クリックや、チップをあげることもできる。
いま東南アジアでは、客待ちしているタクシーに勝っているのがライドシェアだ。比較的、治安の良いマレーシアでは悪質なタクシーに遭遇したことはないが、同じ東南アジアでもベトナム、フィリピンでは、メーターを改造したり、ぼったくり価格を要求されたことがあり、むしろライドシェアの方が安心できる状況だ。
さらに、グラブの場合、ライドシェアのみならず、宅配便やバイク便、食事の出前、スーパーマーケットの配達、ホテルや遊園地の予約、プレゼント送品などもできてしまう優れモノ。先日、風邪をひいたときに食事や薬品、雑貨の配達を手軽に使うことができた。
これだけ利便性の高いものが日本にはない。
20年ぐらい前、利便性で先に進んでいたはずの日本が、いつのまにか不便な側に陥っている。
いまライドシェアの反対意見を見ると、「安全性の担保がない」とか「運転手が変な人だったら怖い」とかいう不安が見られるが、いかにもライドシェアを利用していない人の側からの「未知」である。その理由が正しければ、日本より運転が荒く、治安で劣る東南アジアで普及するわけがない。
ライドシェアに関して、日常的に利用して感じる問題点はほとんどない。しいて言えば、「日本に導入すること」には一つだけ懸念がある。
客が社会の「過剰サービス」に慣れすぎている点だ。ネット上では、タクシー運転手や宅配便の配達員に、小さなことで文句を言っているのをよく見かける。
特に芸能人の文句はニュースになって広まっており、先日はタレントの田村淳がタクシー運転手の会話について不満を述べていたし、女優・篠原涼子も「喋らない運転手」について苦言を述べていた。
ハッキリ言って、田村や篠原のようなセレブは、金があるのだろうから専属のハイヤーでも持てばいいのに、とすら思うが、文句の多い日本を見ていると「ライドシェアのドライバーが嫌な態度だった」とかいうコメントがネットに溢れるのは目に見えている。
ライドシェアに反対する声は、それこそ「交通事故が多いから自動車の使用を禁止しよう」というぐらい馬鹿げているものが多い。
反対理由はただ既得権を守ることだけであるが、タクシー業界はむしろ彼らこそライドシェア事業に乗り出し、宅配業者やスーパーマーケットなどと連携すれば大きなビジネスになるはずだ。解決すべき免許制度などはあるが、その利便性は大きい。これはカジノなんかよりずっと国が率先して取り組むべき議題だと思う。(抜粋)
引用元: ・【社会】日本、なぜ便利なライドシェアに反発するのか…「サービスの質」を求める国民性
ア◯。
サービスの質じゃなくて保険などの安全性だよ、問題は。
その次に業界保護とか無くて良いのか?という話。
サービスが良いか悪いかなんて一番最後だ、ボ◯!
当初は行き先限定にすれば良いんじゃないか