今年12月に自身初の全曲解説付き全歌詞集を発売予定。往時とは一味違った粋な姿でマイク片手にキメポーズ!
暗がりのバスケットコートに模したステージに置かれたアンプやドラムセット。観客は不釣り合いな光景を気にするそぶりもなく、静かに流れ始めたイントロに身体を揺らす。日本語の歌唱とともにコート中央に立つ男性がスポットライトに照らし出されると、会場からは割れんばかりの歓声があがった――。
【画像】すごい…!『WANDS』初代ボーカル・上杉昇の貴重写真…!
中国で放送された音楽番組に出演していたのは、現地で絶大な人気を誇るアーティストの上杉昇(51)だ。音楽プロデューサー・長戸大幸氏の下で結成された、’90年代の大ヒットバンド『WANDS』の初代ボーカルである。
「失礼なのは重々承知ですが、当時は『スラムダンク』を受け入れきれない部分があったんです。でも今は、その知名度に助けられているし、感謝しかないですね」
昨年12月に日本公開され、中国国内だけで興行収入131億円を突破する社会現象となった映画『THE FIRST SLAM DUNK』。上映に合わせ、再ブームが起きているのが″主題歌″だ。なかでも、売り上げ120万枚以上のTVアニメ版エンディング『世界が終るまでは…』は中国での映画上映後に大合唱が巻き起こるなど、絶大な支持を集めている。
上杉は″スラダン効果″について、さらにこう語った。
「中国や台湾、シンガポールやドバイからもライブのお誘いを受ける機会が増えました。今年だけで10回以上の公演をしましたね。向こうでは予想以上のスター扱いで用意されるホテルのグレードも高いんですが、日本に帰るとそうでもない。不思議な感覚です(笑)」
◆大ヒットに隠された″葛藤″
’91年にデビューし、翌年に発売された『もっと強く抱きしめたなら』は160万枚を超えるミリオンヒットを記録。一躍トップアーティストの仲間入りを果たしたが、デビュー当初は理想と現実に苦しむ日々が続いた。
「当初はロックができると聞かされバンドに参加したんですが、いざフタを開けるとJ-POP路線で……。それでも、母親に『20歳になったら家を出ていきなさい』と言われていた手前、生活もあるし活動をすることにしたんです。合間の時間にはバンドメンバーと『ニルヴァーナ』のコピーバンドを組んで、こっそりライブハウスで演奏してフラストレーションを発散していましたよ」
当時はJ-POP黄金期。群雄割拠のCD戦争最中(さなか)の制作現場はまさに「極限状態だった」と振り返る。
「作詞の制作期間はだいたい1日。徹夜で仕上げることが当たり前でした。ある日、スタジオに行くとディレクターが疲労で床に倒れていたこともありましたし、自分も突然過呼吸になって歌えないことがありました。その時初めて、心と身体の悲鳴を実感したんです」
もともと書くことが好きだった上杉にとって主題歌やタイアップは興味がなく、作詞を純粋に楽しんでいるだけだった。それは、累計売り上げ180万枚を超える中山美穂(53)とのコラボ曲『世界中の誰よりきっと』も例外ではないという。
「最初は歌詞を提供するだけというお話だったのでお引き受けしました。そしたら、『コーラスもやって欲しい』と言われて……。スタジオで実際に歌ってみると、今度は『テレビに出てくれ』となって気が付いたら、あれよあれよとコラボという形になっていました。あの時は完全に『してやられたな』と思いました(笑)」
だが、この一件こそが名曲『世界が終るまでは…』の誕生へと繋がっていく。
全文はソースでお確かめください
https://news.yahoo.co.jp/articles/66f29d7f732961f82c0fb05c7bb9e8918dea9e87
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20231125-00000005-friday-000-1-view.jpg?exp=10800&fmt=webp
引用元: ・【音楽】『WANDS』初代ボーカル・上杉昇「当時の受け入れられなかった『スラダン』に今は感謝しています」 [フォーエバー★]
金持ってる中国人様相手に稼げるもんなあ
よかったなあ上杉、若い頃あの歌詞書いてあの歌作っといて
何気にPVが神なんだよな