’00年代、俳優・ミュージシャンとして世間を騒がせ、’09年の逮捕をきっかけに芸能界を退いた押尾学。
今、そんな彼が歌舞伎町のホストクラブで顧問を務めている。
’14年12月の仮出所後から、「もう一度、人間として認められたい」ともがき続けている彼は今、何を思うのか。
押尾学、歌舞伎町に現る。
──どういった経緯で、ホストグループ「シンスユー」の顧問役についたのでしょうか?
押尾:もともとグループの会長と仲がよくて、昨年6月ごろに「グループの顧問をやってもらえませんか?」と言われて。最初は断っていたんですけど、熱い思いで何度も誘ってもらったので、お引き受けしました。
※「シンスユー」
元ホストの優士が’07年に新宿・歌舞伎町で創業したホストグループ。現在は全国に17店舗を展開。総勢300人を超えるスタッフが在籍
──具体的にはどんな仕事を?
押尾:ホストの世界は全然わからないので、プレーヤーは厳しい。ですから、経営面のアドバイスをしたり、30歳以上のホストだけが働くグループ店「シンスユークラシック」を社長と一緒にPRして盛り上げる手伝いをさせてもらっています。
トレードマークのシルバーヘアは「白髪」
──久しぶりに押尾さんを見た読者は、シルバーヘアに驚く方もいそうな気がしますが。
押尾:これ、白髪なんです。逮捕されて拘置所に入ったら、魂とともに色も抜けちゃって。本当にハゲなくてよかったですよ。
──そうだったんですね。出所してからも、ゼロからセカンドキャリアを築かないといけない大変さはありましたか?
押尾:ありました。私の場合は罪を犯してしまったので、簡単には社会が受け入れてくれない。自分に関する話題がネットニュースになるたびに、インスタグラムのDMに「死ね」とか「なんでお前生きてんの?」っていまだに届きますから。
人として信用がないことがツラい
──出所後、仕事はすぐに見つかりましたか。
押尾:大変でしたよ。一時期はバイトもしてましたが、現場に変な人がいて続けられなくなったり。それで5年前に建設業を営む知り合いが声をかけてくれた。ただ、押尾学が本名なので支障がいろいろあって。クレジットの審査も通らず、銀行の法人口座もつくれない。人として信用がないことがこんなにツラいのかと。社会から死ねと言われているような気持ちでした。
──そんな環境から再び犯罪に手を染めてしまう人も多い。
押尾:その気持ちはわかりますし、私にも甘い話や誘惑がたくさん来ました。ギリギリで耐えられた理由ですか……? 今すべてを終わらせたら、悔しさしか残らないと思ったんです。
──手を差し伸べてくれる友人はいなかったんですか?
押尾:私の調子がいいときに「兄貴」とか言って慕ってくれてた知人や後輩は、誰も連絡が取れなくなりました。それから刑務所に入っている間に思いを寄せていた女性がいて、出所して会いに行ったら、どこぞの社長とデキてて。それもショックでしたね。今はもう芸能界で繋がっている人は誰もいないです。
以下、ソース先で
https://news.yahoo.co.jp/articles/9200b1a81fba2fd7272f4aced2fb29228a60f550
https://i.imgur.com/DHq9pnf.jpg
引用元: ・【芸能】押尾学、“出所後の生活”を語る 「もう一度、人間として認められたい」 現在はホストクラブの顧問、トレードマークは白髪 [jinjin★]