PRESIDENT Online2025/09/17 9:00
https://president.jp/articles/-/102033
■「あなたは仕事ができるのか?」に反論できるか
たとえば中卒でニートの人が、25歳になってはたと、まったく畑の違う、仮に日本銀行に就職したい、と思い立ったとしたら。おそらく少なくない人が、こんなことをその人に暗に明に言うのではないでしょうか。
「へ? あなた仕事できるんですか? 本当にできる人はとっくに努力してきてますけど、大丈夫ですか? 学歴である程度のあなたの頑張りと実績がわかりますけど、うーんあなたがやれるようには思えない。何か力量を証明するものありますか?」
学歴社会とは平たく言えば、こうした主張に社会的なコンセンサスが生まれている状態です。それを私は肯定も否定もしていない点は繰り返しお伝えします。私自身の視座についてはさておき、ここでは、学歴がないと、「あなたが仕事ができるのかどうなのか、信用できない」と言われてしまうことに反論がしにくいのが学歴社会である点を頭に置いておきましょう。
さて、これの何が問題か? は次の問いに続きます。
■不公平な「成功」への切符
次なる疑問。そもそもいまの仕事に水路づけた立役者は学歴ですが、その学歴を手にしたことは、本当に本人の努力と実力(能力)の賜物だと、言い切れるのだろうか? という点です。
先の例の中卒で社会に出た人は、本人の希望で義務教育で学校と決別したという人もいれば、当然のことながら、事情により高校以上の学校教育を受けることができなかった場合も大いにありますよね。
学歴社会は、個人の自由意志で、未来のためにいま精一杯の努力をし、実力を磨くことがさも皆が「(やれば)できる」前提に見えますが、じつはここですでに、捨象された議論が隠れているわけです。
本人の自由意志、合理性が働かない、選択の余地がないケースもあるよね? と。なのに、いま「もらいの少ない人」は、子どものころからの継続的な努力と実力の研鑽が足りないのだから、仕方がない──そう切り捨てることは、やはり結果の不平等を放置する意味において不公平ではないか? という議論が学歴社会の学術的研究の一義です。
専門的な議論はぜひ当該の書籍や論文に当たっていただければと思います。ここでは、一般書として平易に骨子を描くことに注力しますと、
多くをもらう人は、過去からいまもずっと頑張ってきて実績を残している人である
──これを体現した学歴社会のもとでは、高い学歴を得られなかった人は、まさに努力と実力不足という判定がされてしかるべきと考えられるわけです。ですが先に述べたように、したくてもできない環境下にあることも十分に考えられるのです。
「生まれ」による有利・不利
と、さらにここで、次のような意見もありましょう。
「いや、逆境にも負けず、自分で道を切り拓ける人もいる」
「経済的な逆境なら、安価な公教育もあるし、奨学金制度だってある。チャンスは『平等』にあったのだから、本人の問題じゃないか」
と。えぇ、さもありなんといった主張です。
しかし、これらの言説についても、教育社会学は毅然として、実証研究をもって反論します。ランダムサンプリングによる大規模調査および精緻化された統計手法の発展により、次のような、世代をまたぐファクトが抽出されました。
(1)学歴はまずもってその人の所得(稼ぎ、もらい)との相関がある
(2)本人の学歴は親から子へと再生産される(親子の学歴に相関がある)
(1)については図表1のとおりです。学歴が高いほど平均賃金も高いのです(ここでは主旨ではありませんから男女格差については言及しません)。

※以下出典先で
引用元: ・【社会】子どもの学歴は「生まれ」で決まる…低学歴の親が目を背けたくなる学歴データが示す不都合な真実 [七波羅探題★]
子ども全員院卒
ソースはうちの親。
国立理系に行ったけど、驚くほど親はわかってなかったw
昔から言われてるじゃん


