これほど知られた卑弥呼が、『古事記』にも『日本書紀』にも具体的な姿をみせないことは、いっそう卑弥呼を謎の人物としていると同時に、その理由が問題になってこよう。
その理由を探る手がかりとして、邪馬台国の位置は、やはり避けて通ることができない。なぜならば、邪馬台国がもし北部九州に所在していたならば、大和に成立したヤマト政権とは直接、関係がみられないという可能性が出てくるからだ。邪馬台国とヤマト政権が無関係であれば、ヤマト政権の影響下で編纂された「記・紀」に卑弥呼が登場しないことも不思議ではない。
そうではなく、邪馬台国が畿内であったならば、当然ヤマト政権との関係が問題になってくるわけであり、この場合、卑弥呼の記述が「記・紀」に何らかの形であるはずである。それがみられないということは、大きな問題といえる。したがって、「記・紀」に卑弥呼のことがみられないという謎の解明は、あくまで邪馬台国が畿内に存在していたということを前提とした話ということになる。
邪馬台国の位置については、諸説あるが、おおむね北部九州説と畿内説とが有力といえる。このうち、近年はどちらかというと、畿内説が有利なようにみうけられる。その原動力になっているのは纏向遺跡の存在である。2009年に発見された大型建物跡は東西12・4メートル、南北19・2メートルという規模をもち卑弥呼の館かとも騒がれた。纏向の地は「記・紀」にみられる初期の大王である崇神天皇・垂仁天皇・景行天皇の宮の所在地でもあり、考古学的にも卑弥呼の墓かともいわれる箸墓古墳をはじめとする前方後円墳がみられ、西殿塚古墳を壱与(いよ/台与)、行燈山古墳を崇神、渋谷向山古墳を景行の墓にそれぞれあてる説もみられる。
■卑弥呼が「記・紀」にみられない理由
「記・紀」に卑弥呼が登場しないことについては、いくつかのことがいわれているが、そのひとつとして、卑弥呼が固有名詞ではなかったということがいわれている。
つまり、卑弥呼は「日の巫女」という普通名詞であったというのである。これは、『魏志』倭人伝にみられる卑弥呼は、「鬼道」にたけていたということを拠り所としている。鬼道を呪術の一種として、卑弥呼をシャーマンを示す言葉とみなすのである。この卑弥呼を固有名詞としない説では、祭祀を行う役職を指す言葉であるとする考えもみられる。
他には、「記・紀」にみられる神功皇后、天照大神、倭迹迹日百襲姫命、倭姫命などの女性が卑弥呼であったと考える説もみられる。(以下ソース)
9/16(火) 12:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/05c57c6ac1abc70fc503729067d90b98d2406307

引用元: ・【邪馬台国】古代史で最も有名な人物「卑弥呼」はなぜ古代史の記述が残る「日本書紀」「古事記」に登場しないのか? [樽悶★]
邪馬台国「ヤマたい」
中国人「ほぉ~邪馬台国アルか」邪馬台国は熊本
②別の名前で登場しているさぁどっち
改めて字義考察してみた★
卑 いやしい、ひくい
彌 とおい、ながい、わたる、あまねく
呼 よぶ、息をはく
ポイントは2つ!★★
「卑は尊の対義(尊卑)」であって
中華サイドが、蔑む字としてアテたのであれば
本当は逆の「尊 = みこと」だと考察できる
(なお「卑は低い」という意味に対して「魏は高い」で
これまた対義になってる点も捕捉)
もう1つは
「彌と呼で = 長い息をはく」とも取れる
神功皇后(息長帯比売命)との関連性がうかがい知れるねーw
いや、むしろ神功皇后 = 卑弥呼に寄せるため
架空の人物をでっち上げたのかなー?w
いずれにせよ
卑弥呼を字義考察した答えは、こうなる
「本当は身分の高い女性で・長い・息をはける人」
理由は割愛するが
あえて「女性」にして見ましたw
(司馬懿が己の功績のために)
遠くから卑しいヤツを呼んだ!ではありませんよ(笑)

