最も愛しているジャニーズ
森がSMAPを脱退して芸能界も引退すると発表したのは、1996年5月7日のことだった。
「オート選手は自分の夢でした。SMAPを辞めるのはワガママかもしれないが、夢を諦められない。やるからには、オートの世界で一番を目指したい」
会見に集まった記者を前にして、こう宣言したのである。所属先だったジャニーズ事務所も、
「慰留したけれど、森君の気持ちは固かった」
と、説明した。
このように、森は自身の意志により芸能界に見切りをつけ、グループを抜けたとされているが、
「実情は異なります。彼は全面的に自分の意志で辞めたわけではありません」
とは、小菅氏。
集英社で編集者をしていた頃、ジャニー喜多川氏やメリー喜多川氏と密に仕事をした小菅氏は、以降もジャニーズに関する取材を続けた。『女帝 メリー喜多川』(青志社)などの著作では、事務所の裏側をつづっている。
「ジャニー氏はかつて私に“最も愛しているのは『初代ジャニーズ』とSMAPの二組だけです”と言いました。中でも森のことはとても気に入っており、目をかけていましたね。だから、森は“レーサーになってもジャニーズを辞める羽目にはならないだろう”と、鷹揚に構えていた節がある。当初、レースと芸能界の二足のわらじを履くつもりでいたのだと思います」(同)
“女帝”の逆鱗
森がSMAPを脱退せざるを得なくなったのは、事務所を仕切っていたメリー氏の逆鱗に触れたことが大きかったという。
「彼女に黙ってオートレーサーの採用試験を受けていたのがマズかった。所属タレントを“ウチの子”と呼んでいたメリー氏は、事務所内のあらゆることを把握しないと気が済まないタイプでしたから」(小菅氏)
オートレース好きで知られた作曲家、故平尾昌晃氏と交流を持ったのも悪手だったそうだ。
「森にしてみれば単に平尾氏と話をしたり、オート関係の知人を紹介してもらったりしたかったようです。しかしメリー氏は、平尾氏を通じて他事務所への移籍を企てている可能性を疑いました。こうして“女帝”からの信用を失った森は、芸能界を追放されることになったのです」(同)
続きはソースで
https://www.dailyshincho.jp/article/2026/05070440/?all=1
引用元: ・「森 且行」がSMAPから脱退した“本当の理由” 「全面的に自分の意志で、というわけではない」 [ネギうどん★]
反吐が出る
バイクに興じたんだっけ

