ネット上でも「高市首相の政策や言動と曲の思想が矛盾している」「一国の首相として軽すぎる」といった批判が相次いでいるのです。
しかし、外交の舞台でこれくらいのパフォーマンスを披露する首脳は珍しくありません。林芳正総務大臣が外務大臣時代にピアノ演奏をしたり、アメリカのブリンケン元国務長官がブルースギターを披露したりしてきたのは記憶に新しいところです。音楽は外交の重要なツールだという歴史があります。
にもかかわらず、なぜ高市首相の「イマジン」は、これほどまでに見ていて恥ずかしく、居心地の悪さを感じさせるのでしょうか?
最大の原因は、周囲から完全に浮き上がってしまっているその「異物感」にあります。
カウンターパートであるフィリピン側の、どこか引き気味で静かなテンションとの差は明らかでした。マルコス大統領がエリック・クラプトンの「ワンダフル・トゥナイト」を歌う場面もありましたが、とはいえ、それはほんの鼻歌程度のトーンです。
こうした対照的な様子から、「今、自分が置かれている状況や周囲の視線を、正しく把握できていない人物」という高市首相の姿を印象づけてしまったのです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c399ff909fe0395da6e183ae69ea88f33191ab96
カラオケのような声量に、全力の笑顔
さらに違和感を決定づけるのが、その「歌い方」です。
本来、ディナーの席で流れる音楽に合わせるなら、軽く口ずさむ程度が自然です。しかし、高市首相のボリュームは完全にカラオケのオンステージ。前のめりな全力の笑顔で、フィリピン大統領にまでデュエットを迫るような仕草は、見ているこちらが恥ずかしくなります。
しかも、大きな声と満面の笑顔は不自然なほど一定していたことに違和感を覚えました。
音楽に自然に身をゆだねるよりも、「重要な外交で機転を効かせて歌うワタシ」の自己演出を頑張っているような姿は、音楽の機微からはかけはなれていたと言わざるを得ません。
穿った見方をすれば、そこには「フィリピン大統領と大合唱する親密な私」を対外的にアピールしたいという、政治的思惑があったのではないか。しかし相手はそこまで乗ってくれず、ハシゴを外された結果、あのシュールな動画だけが拡散することになったようにも見えてしまうのです。
本来なら、スマートで洒落た友好の演出になり得たはずの場。それが滑稽なスタンドプレーに終わったのは、会談が成功しているように見せたい必死さが、音楽というフィルターを通して国民に見透かされてしまったからなのでしょう。
引用元: ・高市首相の「イマジン」熱唱が見ていられないほど恥ずかしいワケ。外交の場で露呈した「異物感」の正体とは [バイト歴50年★]
ってツッコミたいwhttps://utaten.com/lyric/ea00000286/
簡単な英語歌詞なので
日本の英語の義務教育レベルで
十分理解出来る歌詞

