7/6(月) 17:30
『時をかける少女』や『サマーウォーズ』などヒット作を手掛けてきた細田守監督の展覧会「細田守の原点/展」が、開催中だ。
細田作品は、入道雲やクジラ、夏休みの記憶のような明るさをまといながら、別れやすれ違い、無力感のような痛みを描いてきた。展示されている中学時代の自主制作アニメや大学時代の実写映画、そして幼少期から抱えてきた生々しい経験を手がかりに、その表現の原点に迫る。(前後編の後編)
(中略)
──細田さんの作品には、セリフではなく絵の力で物語が進んでいく場面が多くあります。そうした表現には、ご自身のバックボーンも影響しているのでしょうか。
そうです。吃音だからこそ、言葉にもこだわるし、逆に言葉でない表現にもこだわらざるを得ない。
同じようなことを、山下達郎さんとも話したことがありました。「絵で伝えていることは、なかなか気づいてもらえない」とボヤいていたら、達郎さんが「音楽も同じだ」とうなずいてくださったんです。
曲を聴くことが、歌詞を読むことになっている人も多い。でも本当は、音そのものに込めているものがある。アニメーションも同じで、批評や感想の中心はセリフになることが多いけれど、作り手としては言葉以外のところに熱を込めていることがある。
──そうですね。
例えば『時をかける少女』(2006年)では、真琴が1分間走るシーンがあります。単に走っているわけではなくて、焦りや後悔、千昭に対する決意……言葉にできない感情を、走る身体そのものに託している。
言葉にすれば一言で済むかもしれないものを、絵と動きで、時間をかけて伝えようとしたシーンです。
アニメーションは、魂のような「目に見えないもの」を描くのに長けている表現だと思っているんですね。目には見えないけれど、確かにそこにある感情や気配を、絵にすることで届けられる。僕は、そういうことを信じて描いているんだと思います。
自分の原点にあるのは「言葉ではないもの」かもしれません。
「細田は変わった」と言われることも多いけれど…
──細田さんが橋本カツヨ名義で絵コンテを担当した『少女革命ウテナ』の第29話「空より淡き瑠璃色の」(1997年放送)は、三角関係を椅子の向きで表現していたり、そういう姿勢が色濃く出てますよね。
『ウテナ』は、登場人物が言葉で言っていることは、嘘ばかりなんですよね。むしろ絵の方が真実を語る作品。29話は、樹璃というキャラクターのひとつの決着をつける回でもあります。
(中略)
──お話を聞いていると、最新作の『果てしなきスカーレット』(2025年)にも通じるものがあるように感じました。
そこはあまり届かなかったというか……『果てしなきスカーレット』は爆死してしまったし(苦笑)。
でも、僕の中ではつながっているんです。「強い女性を描くようになったのはなぜですか」と聞かれたり、「細田は強い女が好きなんだ」と見られたりすることもある。
でも、キャラクターの性別にこだわっているつもりはありません。男性キャラクターもたくさん描いてきましたからね。
「細田は変わった」と言われることもありますが、中学生の頃からやっていることは変わらない。根本的に「負けそうになっている人が負けないでほしい」という気持ちが強いんです。
──なぜそう思われるのですか?
……吃音ということも関係があるのかもしれません。言いたいことがあっても言えない。それをわかってもらえない。あの頃の経験が、自分の中にはずっとある。
僕は「負けそうな人が、そのまま負ける社会」が嫌なんです。どんな人生にも、負けそうになる瞬間があるでしょう。言葉が届かなかったり、誰かとすれ違ったり、自分ではどうにもできないことにぶつかったりする。
でも、その痛みをなかったことにはせず、それでも負けないでほしい。そう思っているんです。
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引用元: ・細田守監督「『果てしなきスカーレット』は爆死してしまったし」「『細田は変わった』と言われるがやっていることは変わらない」 [muffin★]
次作は2028年か2029年だな

