■敷地内には大隈重信像がたたずむ。後ろは唐津城
「私はいつもここにいるようにしています」。校長室は使わず、一般の教員と机を並べて毎日を過ごす。教員や生徒たちとフラットに接することで、現場の変化をすぐに把握することができるのだという。
「教育現場に必要なのはスピード感。校長室にこもっていても変革に必要な情報は入ってきません」。学校トップとしての仕事をこなしながら、普段の授業や部活指導まで受け持つ。
そもそも、なぜ唐津に早稲田なのか。一番の理由は、大隈重信が佐賀の出身であること。当初は生誕地がある佐賀市なども候補に挙がったが、最終的には福岡市へのアクセスの良さなどから唐津市に決まった。唐津は早大の第2代学長を務めた天野為之の生誕地でもあり、佐賀市に負けず劣らずゆかりが深いことも考慮された。
校舎は唐津東高校の跡地を活用。この場所も、早稲田にとってゆかりが深い。天野が学んでいた唐津藩の洋学校「耐恒寮」の跡地に当たるからだ。
当時、耐恒寮で英語教官を担った高橋是清は18歳。年齢や性別、肩書にとらわれない自由闊達(かったつ)な校風が生まれ、開明的な洋学教育につながった。天野の他にも、旧唐津銀行を設立した大島小太郎や「日本近代建築の父」と称される辰野金吾らを輩出。早稲田佐賀の正門前には「唐津近代教育揺籃(ようらん)の地」と刻まれた記念碑が建てられている。
耐恒寮の理念はしっかりと受け継がれており、迎校長は「自由な雰囲気があってこそ、生徒たちの自主性が養われる」と強調する。
■早大から割り当てられる推薦枠は年々拡大
唐津の立地を生かし、豊かな自然や文化を味わえるプログラムを整備。生徒たちは地元の漁師や農家の家に宿泊しながら地引き網や農作物の栽培を体験したり、唐津焼の窯元を訪れて陶芸に取り組んだりする。都市部にはない学びの場を生かすことで、伸び伸びと成長しているという。
自発的に地域活動に取り組む生徒も増え、学校周辺だけでなく、虹の松原や市街地での清掃活動を積極的に行うようになった。25年8月の「全国高校生プレゼン甲子園」では、厳木地区の振興策を考案した女子生徒のグループが最優秀賞を受賞。校長自ら顧問を務める吹奏楽部は、自主性を重んじる指導方法で、同7月の県吹奏楽大会で金賞を受賞した。
「文武両道」を掲げる運動部の活躍も目覚ましく、野球部は17年に夏の甲子園に初出場。21年に創部したラグビー部は、コカ・コーラで活躍した早大出身の山下昂大氏を監督に迎え、ラグビー関係者から「佐賀工業との差も縮まってきている」と評価されている。
こうした活動は県外の受験生にも広く知られるようになった。福岡からJRや高速バスで通う生徒も多いが、特に首都圏出身者の割合が高まり続けており、今では在校生の4割を占めるまでになった。
実家からは離れることになるが、寮生活などを通して地域と密に交わり、愛着を深める生徒も多い。早大に進学後、佐賀や福岡で就職するために九州に戻ってくるケースが増えている。
早大に進学した卒業生たちの評価が高いこともあり、大学から割り当てられる推薦枠は年々拡大。開校当初は入学定員に対し50%だった推薦枠は、本年度58・3%にまで上昇。27年度の卒業生には61・7%が割り当てられる見通しだ。
迎校長は「早大は東京だけでなく、地方の魅力を知る多様な人材を求めている。唐津の豊かな自然や文化に触れ、人間的な幅を広げた早稲田佐賀の生徒たちへの評価はまだまだ高まりそうだ」としている。
西日本新聞2/24(火) 6:00
https://news.yahoo.co.jp/articles/3364ba85699fb1ca9ca8f1e5b099a09f813feac0
引用元: ・【進学】福岡や首都圏から過去最多3800人応募…唐津の早稲田佐賀の志願者が増える理由 [七波羅探題★]
つまり、佐賀に新幹線があれば佐賀城下にできるはずだったのにってことね
地方の人口が減少することで地方の中小サッシ製造会社の仕事減る?潰れる?

