「人殺しにプライバシーなどない」
私のような古い週刊誌屋は、先輩からそうハッパをかけられ、犯人や被害者の親族、友人、仕事場の同僚を回り、犯人の家のゴミ箱まで漁った。
私たちは「取材靴」といっていたが、つま先に金属の入った頑丈な靴を履き、取材先の家のドアを叩く。相手が何者かと思って顔を出すと、こういう者ですがと名乗りながら、戸の隙間に靴を差し込む。
「帰ってくれ!」と怒鳴るが、戸は閉まらない。「そこを何とか、お宅は殺人犯の○○と親しかったですね」と次々に質問を投げかける。中にはほとほと困って、ポツリと本音を漏らしてくれる人もいた。
8人の女性を強◯殺害した大久保清が逮捕されたのは1971年。私と若い記者は、大久保の両親が群馬県の温泉にいることを突き止めた。風呂帰りの両親に声をかけると、「おまえらのような虫けらに話すことなどない」と一喝された。
73年、立教大学の助教授が愛人の女子学生を山中に殺して埋め、一家心中した。雑誌は記者クラブに入れないから情報がない。仕方ないので記者と2人でスコップを買い、夜中、遺体を捜してあちこち掘り起こして、警察にどやされ、慌てて逃げた。私の回顧譚はこれくらいにしておこう。
京都府南丹市で起きた結希くん失踪事件は、義父の安達優季(37)が死体遺棄の容疑で逮捕され、「私が殺した」と自白したことで殺人事件に変わった。
だが、この事件は全面解決したわけではない。この原稿を書いている時点では、なぜ安達が結希くんを殺したのかという最大のナゾの「動機」がわかっていないのだ。
(中略)
つまりは、いくつもの大きなナゾが残る。事件は終わっていない。
だが、テレビも 新聞も、この事件の報道が極めて少なくなってしまったのはなぜだろう。一説には“現代の知の巨人”といわれる池上彰がこう言ったことが、自粛をさせる引き金になったといわれている。彼が出たワイドショーで事件について聞かれ、おおむねこう言ったというのである。
「ただ、見ている側からするとですね、もういいんじゃないですか、この話。容疑者が捕まって、容疑者が事件について認めているんですから。もうこれ以上、扱わない方がいいんじゃないかなと、すいません、私は思いましたけどね」
おいおい、動機さえわかっていないのだ。一部の識者やSNSの無責任な批判に怯え、メディアが追加取材をやめ、報道を控えているのだとすれば、“自殺”行為である。
もしテレビ・新聞がジャーナリズムなら、この事件の全容を自分の足と目と耳で取材して、視聴者や読者に知らせるのが「使命」ではないのか。 (文中敬称略)
(元木昌彦/「週刊現代」「フライデー」元編集長)
※全文はソースで
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/387258
※関連スレ
池上彰氏、児童遺体遺棄事件めぐる報道「もういいんじゃないですかこの話」 [ひかり★]
https://hayabusa9.5ch.io/test/read.cgi/mnewsplus/1776659949/
引用元: ・多くのナゾが残り「動機」も不明なのに…京都・遺棄事件の報道はなぜパッと消えたのか [少考さん★]
単に賞味期限切れ

