敗退のコロンビア、命を奪った「最悪の惨劇」 帰国後に…銃弾12発「オウンゴールをありがとう」
1930年の創設から、これまで数々のドラマを生み出してきたFIFAワールドカップ。4年に一度の熱狂は時に人々を狂わせ、決して起きてはならない悲劇を引き起こすことがある。
今回は、1994年米国大会で痛恨のオウンゴールを献上してしまったコロンビア代表のDFが、帰国後に母国で射殺されるというショッキングな事件を振り返る。
サッカーの枠を越え、全世界を深い悲しみに包み込んだ最悪の惨劇だ。
事件の舞台となったのは、1994年米国大会のグループリーグ。当時、MFカルロス・バルデラマらを擁して優勝候補の一角にも挙げられていたコロンビア代表だったが、初戦でルーマニアに1-3とよもやの敗戦を喫し、いきなり後がない状況に追い込まれてしまう。
絶対に負けられない第2戦の相手は、開催国の米国。しかし、この重圧のかかる一戦で信じられないプレーが起きてしまう。前半35分、相手の左サイドからのクロスボールを阻もうと、コロンビアDFアンドレス・エスコバルがスライディングで足を伸ばすが、非情にもボールは方向を変えて自陣のゴールネットへ吸い込まれていった。
痛恨のオウンゴールで先制を許したチームは、その後も追加点を奪われ1-2で敗戦。よもやのグループリーグ敗退が決まった。
第3戦のスイス戦には勝利したものの、国民の異常なほどの期待を裏切る形となった選手たちの多くは、激しいバッシングや報復を恐れて大会後も米国への滞在を延長していた。そんな中、チームの主将も務めていたエスコバルは「ファンへの説明責任がある」と気丈に振る舞い、一人母国コロンビアへと帰国する。
悲劇が起きたのは、まだW杯の熱戦が続いていた1994年7月2日のことだった。
深夜、メデジンのバーを出たエスコバルに、突如として暴漢が襲いかかる。
報道や現場にいた友人の証言によれば、犯人は「オウンゴールをありがとう」「ゴール!」と叫びながら、彼に向かって12発もの銃弾を容赦なく撃ち込んだという。
母国の最終ラインを支え続けた誇り高きディフェンダーは、27歳という若さで帰らぬ人となった。
後に「エスコバルの悲劇」と名付けられたこの惨劇は、瞬く間に世界中へと打電され、大きな衝撃と深い悲しみをもたらした。大会中のW杯会場でも、試合前に彼の死を悼む黙祷が捧げられている。
そしてこの痛ましい事件は、遠く離れた日本のサッカー界にも大きな影響を与えた。
当時、日本のメディアは自陣のゴールにボールを入れてしまうプレーを「自殺点」と呼んでいた。しかし、この痛ましい殺人事件を機に「あまりにも縁起が悪く、残酷な表現だ」として用語の見直しが図られ、1994年以降は世界共通の「オウンゴール」という呼称に統一されることとなった。
国を背負って戦った選手が、たった1つのプレーを理由に命を奪われる——。サッカーの歴史において、これほどまでに暗く、痛ましい事件は他にない。
引用元: ・【サッカー】94年W杯 コロンビア代表、命を奪った「最悪の惨劇」 帰国後に…銃弾12発「オウンゴールをありがとう」 [冬月記者★]
https://hayabusa9.5ch.io/test/read.cgi/mnewsplus/1783681598/
それ関連で出してきた記事っぽい
Jリーグも始まってたし
賭け絡みが原因って聞いて印象が大分変わったな

